東北の歴史

2011年12月18日 (日)

東北の歴史・序 ~失われた時を求めて

20111218 2000年11月5日は日曜日でしたが、その朝に毎日新聞をみたすべてのマスコミ関係者は――新聞・テレビを問わず――想像を絶するほどのショックに声を失ったはずです。
あの日本中を騒がせた前期旧石器遺跡捏造のスクープ記事が3枚の生々しい写真と共に、一面を飾っていたのでした。私は家で毎日は取っていなかったので、テレビの昼ニュースでそれを知りました。

私は勤めていたテレビ局をやめてフリーになってから10年余りが経っていて、その間報道とは無縁に過ごしてきましたが、それでもやはりショックを隠せませんでした。80年代には私も記者として幾つかの前期旧石器遺跡を取材したことがあったからです。
遺跡に石器を埋めていた かの藤村新一さんは、当時はまだテレビに取り上げられることもなくスターにはなっていませんでした。大柄で髭を生やした、山奥から降りてきた熊みたいな人で、一度お会いしたことはありますが、特にこれといった話はしなかったように思います。(80年代には遺跡関連の発表は県の教育庁経由で行われ、たいがい大学か多賀城にある東北歴史資料館のスタッフが説明を行っていました。)

藤村さんは捏造した遺跡は当初2つだけと言ってたのですが、検証によって次々と暴かれていき結局宮城県内の前期旧石器遺跡はすべて捏造されたものと見做されることになります。北京原人などの原人の時代に日本列島にも原人が存在した証として教科書にも載った遺跡を含め、すべての遺跡は捏造だったのでした。

(藤村さんはこのあと精神障害を理由に、精神病院に入院することになります。このような場合通常なら本名は出しませんが、現在は再婚し名前も変えて第二の人生を送っているとのことなので、下手に仮名にするよりは旧名のまま出すべきと考えました。)

日本考古学協会は特別委員会を設置して、この事件の検証に当たったのですが、そのやり方がいかにもまずく、特に特別委員会委員長の戸沢充則氏(元・明治大学学長)が精神病院に入院中の藤村さんに数回面会し、藤村さんから入手した自白文書(メモ)を部分的に黒塗りの非公開にして提出したことが、事態を複雑にしました。そこに何が書いてあったのかは現時点でも戸沢氏しか判らないわけですが、それらの箇所は共犯者の名前が書いてあるとも読める部分で、今もその疑惑はくすぶり続けています。

この事件については皆さんも詳しくご存知でしょうから、あえて繰り返すまでもないと思います。しかしこの事件の何が今もなお考古学の世界に深刻な影響を及ぼしてるのかについては、やはり触れておかなければなりません。しかし今日は時間が無いので次回に書きたいと思います。

ニュース原稿というのは普通に正確な日本語がかけて、ある程度の要領をつかめば誰にでも書くことができます。実際ポイントさえ押さえれば遺跡発掘の原稿など電話取材でも書けてしまうのです。ローカル・テレビ局のきわめて限られた人数で、多くのニュースを放送するためには、行政が発表する事柄など、右から左へ流すようにサラサラ書いてしまわないといけないという状況は、はっきり言って常です。

しかしこの事件は、そのような批判を欠いた報道姿勢がいかに重大な事態を引き起こすかということを、マスコミ関係者総てに突きつけたのでした。ここでは特に書きませんが、もちろん私自身にも限られた件数とはいえ、一時期遺跡報道に携わった者として反省はあります。――そしてなぜこんなことを書いているかといえば――これは実に今日的な問題でもあるからなのです。

ところで「東北の歴史」などと大きく出てしまいましたが、実は1980年代まで東北には歴史がありませんでした。もちろん折々のトピックはありました。奥州藤原氏の栄華とか、伊達政宗の登場とか、白虎隊とか。でもそれだけでは歴史にはなりません。

東北にも歴史があったのだということを人々が認識したのは、1990年代の二つの出来事がきっかけだったと思います。

6 一つは言わずと知れた青森県の三内丸山遺跡。1994年に大型の6本の柱の跡の発見により、巨大な建物が建っていたのではないかという推測が成り立ちました(右の画像は復元されたもの:Wikipediaより)。さらに数多くの建物跡や、ストーンサークルのようなものの跡も発見され、ここには縄文時代の前期中頃から中期末葉(約5500年~4000年前)まで大規模な集落、大げさに言えば都市ができていたのではないかと想像されたのです。他のどの地域にもまして、最も進んだ文化が青森で栄えていたという可能性は、日本の歴史を東北から書き始めるべき大きな根拠であり、東北独自の歴史が書かれるべき、その一の理由とすら言えるものでした。

そしてもう一つは、1999年に出版された高橋克彦さんの小説「火怨 北の燿星アテルイ」です。蝦夷というものに対する認識は、すでに歴史研究の分野では東北大学の高橋富雄名誉教授などの著書によって、50年代~60年代から見直しが行われてきてはいました。
しかし蝦夷こそは現在の東北人の祖先であり、それなくしては東北の歴史は語れないのだということを、一般に訴えたのは、アテルイ(阿弖流爲)をレジスタンスの若きリーダーとして描いた高橋さんの小説あってではないかと、私は考えています。

で、私が何を書きたいのかというと歴史ではありません。歴史学者でもない私に通史が書けるわけはありませんし、そんなしんどいことをブログでやってたら死んでしまいます。
物語を書きたいのでもありません。それは小説家におまかせです。
やろうとしてるのは新聞のコラムみたいのに、写真と動画をくっつけて、東北の歴史案内の入門編のようなものです。多分なかなか進まないと思いますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)