横町シリーズ

2011年10月29日 (土)

仙台銀座と仙台浅草 ~横町シリーズ・12

20111029_ginza1 全国に銀座と名の付く地名は山ほどあります。勿論それらは江戸時代に銀座が開かれたからではなく、東京の銀座のように発展して華やかな街になりますようにという願いをこめて付けられたと思います。が、銀座の名前がつく所で、その町・市で一番の繁華街という所ってあまり無いんじゃないでしょうか。別に全国の町を回ったわけではないですけど。

仙台銀座は前に取り上げた仙台朝市のすぐ近くにあります。仙台市の資料によれば、ここはまず終戦直後、焼け野原の跡に木造モルタルが立ち並ぶことから始まったらしいです。
20111029_ginza2 ところが昭和27年今度は火事で焼けてしまい、その後今のような横丁になったみたいです。横丁と言うか路地、あるいは小路と言うべきでしょうか。あっと言う間に通り抜けてしまう狭い地域で、店の数も二十数件ぐらいしかないんじゃないかと思います。

で、この仙台銀座、昔は――というのは私が高校生ぐらいの頃ですが――なんだか飲み屋とかがごちゃごちゃあって、足を踏み込む気にもならない場所でした。でも何しろこの場所は仙台のメインストリートの一つである南町通りと東二番町通りに囲まれた場所。一等地化(?)がどんどん進むに連れて、だんだん小奇麗になってきました。今はちょっと入ってみたい感じのお洒落な店と、昭和の香りをひきずる古くからの店とが混在しています。そのうち結構なオシャレ地帯になるかも知れません。

20111029_asakusa1 あまりにも当たり前の話で、わざわざ書くのも気がひけますが、北仙台駅は仙台市の北部にあります。
その北仙台駅のすぐ傍にあるのが仙台浅草。ここも戦後ですが昭和50年代に出来た横町です。で、 Wikipedia によれば、もともとこの場所には仙台鉄道という名前の軽便鉄道が通ってたのだそうで、それが廃線になった跡地なのだそうです。へ~え、知らなかった…

その跡地は一時、材木屋さんの土地として使われていたらしいんですが、その材木商が廃業。そこに開かれた日用品の市場が仙台浅草の始まりだということです。

20111029_asakusa2 仙台市の資料によれば、「浅草観音を祭る敷地も確保してにぎわいを見せた横丁は次第に衰退、老朽化が目立つようになりました。活気を取り戻したいと篤志家の尽力で、念願の観音様を建立。菓子、鮮魚、青果、毛糸屋など昔からの店舗に新しい飲食店が加わり、たたずまいが一変しています」とのこと。

確かにここは夜の飲食店街である仙台銀座と違って、普通にクリーニング屋さんとか魚屋さんとかがあるファミリアーな横町。道路は車も通れます(時速10キロでお願い)。 飲食店、たとえば普通のラーメン屋とかもなんか美味そうと言うか、穴場的な予感がします。まあ私の予感なのであてにならないんですが。

ところで銀座は分かりますが、なぜ浅草なんでしょう?いまだとイメージわかないですが、浅草六区とかが華やかなりし頃はそれなりに地方の憧れの場所だったんでしょうか。

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2011年8月26日 (金)

仙台朝市~横町シリーズ・11

20110826 仙台朝市というのは仙台駅前のEBeans(現在改築工事中)の裏手にある常設市場です。
上野のアメ横をギュッと小規模にして、生鮮食品店だけを集めた感じをイメージしてもらえばいいかと思います。

店によって値段は違いますが、すごく安いです。スーパーで一番安いところとタイか、もっと安いかも。

201108262 この仙台朝市は、もともと戦後の闇市から発展したもので、当時はテントを張り、むしろを敷いて売っていたと言われています。いまはもちろんムシロということはありませんが、そうした昭和の風情は十分に残されています。

ほんの数十メートルの横町に店がひしめいてるんですが、集客力は一日1万人ともいわれ、特に年末はアメ横並の(?)賑わいを見せます。当然年末の風物詩として、ローカルニュースでは必ず取り上げられます。

朝市という名前ですが、たいがいの店は夕方ぐらいまでやっているようです。

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2005年5月23日 (月)

連鎖街~横町シリーズ・10

20050523rensagaiJP三越の向かい、一番町から稲荷小路に抜ける横町が4本(ストレートに抜けられるのは3本)ほど並んでいます。あわせておよそ70件の飲食店が軒を連ねているのですが、この横町群。人よんで「連鎖街」。

ああ・・・なんというネーミングでしょうか。
X橋といい仙台人は場所の名前にハードボイルドなニュアンスを付加するのが好きなのでしょうか?
連鎖街ですからね。これはもう新宿鮫の世界ですよ。

しかもなぜかこのうちのどれかは「ションベン横町」と呼ばれてるらしい。たぶんトイレのあるところだろうと思うけど(私はかなり夜の街に疎いので、よくわからない)。ションベン横町も新宿にある名前だし。

で、この横町、普段は昼も夜もまず通らないのですが、この記事を書くために行ってみました。驚き!なんだか、おしゃれなバーや居酒屋がいっぱい。とあるサイトによれば「戦後にバラックから始まった長い歴史を持つ」ということだったのに、うらぶれた赤提灯の雰囲気など微塵もない。さんざめくお店の中からは、MJQのジャズが漏れ聞こえてたりして、ここはどこ?わたしは誰?
ま、もちろん赤提灯やらいかにも庶民的な雰囲気のお店もありますが。でも、こういう場所だったのか・・・知らなかった・・・

なおこの連鎖街、ひとつひとつの横町には(ションベン横町じゃなくて)ちゃんとした名前がついているそうです。「恵比須通り」「大黒通り」「布袋通り」「弁天通り」の以上。

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2005年5月16日 (月)

化物横町~横町シリーズ・9

20050516towerJPタワービルの南側、旧中央警察署にはさまれた一番町と二番町をつなぐ通り。
ここが昔「化物(ばけもの)横町」と呼ばれていたというのをご存知でしたか?

私も<仙台なつかしクラブ>というところが制作した「仙台の由緒ある町名・通り名を訪ねて」という本を読んで、初めて知りました。それによれば名前の由来は――

この通りは昔は旧中央警察署(中央署はこの春、五橋に引っ越しました)側は小高い土堤。タワービル側は一面の竹やぶで杉木立もうっそうと繁っていたんだそうです。
こんな寂しいところだったので、お産の汚物が草むらに捨てられたりして、雨の夜には燐が飛んでいたりしたのでした。そう、つまり人魂(ヒトダマ)・・・

怖~~い。ということで化物横町。

それにしても昔は国分町は奥州街道、仙台のメインストリートで大変なにぎわいだったはず。一番町は侍町。なのにちょっと外れただけで、そんなうら寂しい雰囲気になっちゃったんですねぇ。

しかしこの横町、その後、森民横町とか(森民座というのが近くにあったらしい)、森徳横町とか(それが森徳座と改名したらしい)、裁判所横町とか(昔は二番町に裁判所があったらしい)、憲兵横町とか(やはり二番町に憲兵隊がおかれていたらしい)、やたらいろいろ呼び名が変わってきたようです。
今はよくわからないけど、なんとも呼んでませんよね。

1970年代までは今のタワービルのところは市立病院でした。それが引っ越してタワービルになったわけですが、なぜか広大な敷地の一角だけソープランド。買収交渉がうまくいかなかったんでしょうか。ビルのオーナーもあれには苦々しい思いをしたことでしょうねぇ。

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2005年5月 9日 (月)

ジャンジャン横町とセンター街~横町シリーズ・8

20050509NakakechoJPジャンジャン横町といったら大阪・新世界。センター街といったら渋谷。
でも仙台にだってあるのです。ただ・・・

場所は名掛丁のアーケード街を、仙台駅側からはいってすぐのところ。ジャンジャン横町と名掛丁センター街は並んで走っているのですが、どちらもこじんまりとした通路で、もちろん渋谷のイメージで考えてはいけません。
日曜日には休みの店も多かったりして、駅前の繁華街にあるとは思えない一面もあります。
ところがここに並んでる店は、結構ファンが多かったりします。

20050509Nakakecho2JP上の写真がジャンジャン横町で、学生の味方と言われる「はんだや」とかあります。
左の写真が名掛丁センター街。入り口のど真ん中にデーンとアーケードを支える柱が鎮座ましましてるのが凄いです。

私の個人的おすすめは名掛丁センター街にある居酒屋の「にいがたや」。某局の某元プロデューサーお気に入りの国分町のお店の(お気に入りは「店」にかかる。「国分町」にかかるんじゃなくて)姉妹店で、若い男の子たちがキビキビ働いています。ただし人気があるのかいつも満員で、入れないことがよくあります。

センター街はまだしもジャンジャン横町の名前の由来はなんでしょうか?実は調べたんですが、まったくわかりませんでした。やっぱり真似したんでしょうか?

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2005年4月18日 (月)

壱弐参横丁~横町シリーズ・7

20050418irohaJP壱弐参と書いて「いろは」と読ませます。東一番町の旧丸善と金港堂の間、一番町から南光院丁(東二番町小学校の裏)に抜けるアーケードの通り道。飲食店・喫茶店・いろんな商店などなどがごっちゃに並んでいます。昔は中央市場と言いましたが、5年ほど前にこの名称になりました。

一見、大きなビルの1階部分が通路になっていて、裏通りに抜けられるのかと思ってしまいそうな造りですが、実は全然違います。この中央市場、実態はそれぞれ数件の店が入った小さな建物の集合体。それがくっついていて、道路にアーケードがかかっているだけなのですね。アーケードがあまりにも低いので、天井っぽく感じられますが。つまりれっきとした(?)横町なのです。
(ちなみに三越の近くにも同じようなアーケード横町がありますが、こちらの方は東一市場といいます。)

壱弐参という名称をつけたのは、ご想像通り住所が一番町2-3だから。平成12年にこの名称になりました。それまでの中央市場という名前は、戦後ここに中央公設市場というのが設けられて以来の、歴史ある呼称だったようです。中央市場というよりも○○横丁の方が商売になるからなんでしょうけれど、いろいろと考えさせられます。

中央公設市場が出来た戦後すぐは、この地域はすごい賑わいだったということですから、「市場」という名称はとても集客力があったのだろうと思います。それが今はかなり異なるイメージの「横丁」に変わる。20050418iroha2JPこれは「横丁・横町」の方がポピュラーになったからということではなく、逆に「横町」というもの自体が、もう日常のものではなくなり、一種の歴史的建造物保存区域みたいなものになってしまっているからじゃないかという気がします。単なる時代の流れであって、別に良いことでも悪いことでもありませんが。(上の写真は東側の入り口です。)

しかし名前は変わっても、たしかにここには戦後の香りがそのまま保存されています。終戦直後からずっと続いてるんだろうなと思わせる老舗はもちろんですが、新たに出来た店舗もまた、不思議な懐かしさを感じさせるのはなぜでしょうか?

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2005年4月11日 (月)

細横町~横町シリーズ・6

20050411HosoyokochoJPこの写真が細横町(ほそよこちょう)です。仙台市の一番町や国分町などと並行に通っている大通りの一つで、国分町と広瀬川の間ぐらいにある道路と言えばいいんでしょうか。裁判所から大学病院のほうまで続く大通りです。

おそらく誰もがそう思うことでしょうが、ハイ、その通りです。戦前はすごく細かったのでこんな名前がついてたのですが、戦後道路が拡張されて広くなりました。
どのぐらい細かったのかと言うと、なんと家の窓から手をだすと、道路を横切って、向かいの家の窓に手が突っ込むぐらい細かったんだとか。それって道路なのか?(まあそれは大げさで、実際は1間半だから2.7メートルぐらいあったそう。)

道路が広くなってからもずっと細横町の名称は生きていましたが、あまりにも実態と違うと言うことで、20年ほど前に、晩翠通りという名前に変わりました(1983年)。別に実態と違う名前でも、悪くないと思うんですけど。もっとも名称変更に関しては、この通りは昔は遊郭が並んでいて、細横町と言う名前がそれをひきずってて、嫌だからという説もあります。

それはともかくこの通りに面して昔、東北劇場という大きな映画館がありました。仙台では唯一70mmフィルムを上映できる映画館だったのですが、ずいぶん前に閉館して現在はありません。
学生時代のとある夏休み、私はこの映画館で客整理と売店のアルバイトをしました。
整理が必要なほど客が来たのか?来たのです。

公開初日から場内は超満員。次回の上映を待つ客は劇場を二重三重に取り囲み、それが途切れることなく毎日続くのです。
しかも満員の熱気で冷房も効かなそうな場内では、大の男が次々と失神(!)する始末。私たちアルバイトはそんな失神客を、売店の長椅子に寝かせて、冷蔵庫に用意していたお絞りや、気付け薬で介抱します。

40代後半以上の方なら、もう見当がおつきでしょう。そうです。その映画の題名は「エクソシスト」。あ~、あのアルバイト、面白かった!

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2005年3月28日 (月)

名前のない路地~横町シリーズ・5

20050328namaenonairojiJPこの写真の路地は三越の裏手と言えばいいのか、タワービルの脇の山頭火の先から三越方面に抜ける路です。もうちょっとちゃんと言うと、タワービルの裏手、一番町と二番町の間の三越に突き当たる通りがありますが、その通りの一番三越よりの部分、その東側に一本走っている小さな抜け道があります。そこ。
「なんとか横町」の名前ぐらいついててもいいのに、それがないのは「大通りから派生する」と言う、横町の定義を満たしてないからでしょう。
でも行列の出来るラーメン屋とか安くてボリュームたっぷりの居酒屋とか、じつは穴場な路地なのですね。

写真は雪の日に撮ったので、道路が白くなっています。仙台には終戦直後の雰囲気を残した横町はいくつかありますが、こういうちょっと八代亜紀フィーリングな情緒をかもしだす所はあまりみかけません。港町じゃないからでしょうか。

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2005年3月22日 (火)

竹屋横町と河原町横町~横町シリーズ・4

20050322takeyayokochoJP竹屋横町(左の写真)は仙台市若林区の南材木町から続く横町です。南材通りを蔵造りの店構えで知られる小林薬局さんの斜め向かいあたりから入っていく、ちょうど南材木町小学校のぴったり裏手を通る横町です。
昔は当然ここには竹屋さんが並んでいたのだそうです。大通りに出れば(南材通りは昔は奥州街道だった)材木屋さん、横町にはいると竹屋さんというわけです。

仙台七夕の時には、この横町から仙台市内の家々、お屋敷に竹が運ばれたんだろうなあ・・・などと、思わずのどかな想像をしてしまいます。ちょっと歩いてみたんですが、今はもうないんでしょうか?竹屋さん、見つけられませんでした。

20050322kawaramachiyokochoJP南材木町をそのまま南に行くと河原町になりますが、ここで河原町横町(右の写真)という横町を発見しました。むむ!河原町横町。知らない・・・
河原町商店街をちょっと進んで、右手から南に入っていく、どうもなんてことなさそうな普通の通りなんですが。写真でもわかるようにマンションだらけ。ネットで調べてもどういう性格の通りかまるで判りませんでした。でも仙台市が立てた標識があるので、由緒ある名前かと思うんですが。

ちなみに河原町は藩政時代は仙台市の南の玄関口。ここで広瀬川を渡って仙台入りした旅人から一種の関税みたいなものを取ってたんですね。

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2005年3月 7日 (月)

虎屋横丁~横丁シリーズ・3

20050307torayokoJP虎屋横丁はもしかすると仙台で一番有名な横丁かもしれません。商店街という意味での仙台一の繁華街一番町と、歓楽街と言う意味での仙台一の繁華街国分町をつなぐ道路、ホテル・ユニバースの先の果物屋さんのところから稲荷小路・国分町方面に入っていく通りです。

虎屋(トラヤ)といってもお菓子の虎屋ではなくて、実はこれは江戸時代、この通りにそういう名前の薬種屋(薬屋)があってトラの置物が置かれていたんだそうです。で、そのお店が廃業してもずっとトラの置物だけはそこにあったので、横丁の名前になったんだとか。

ここいらへんは明治時代には芸者置屋がずっとならんでいたんだそうですが、いまは置屋のかわりに客引きのお兄さんたちがずらっとならんでいます。
この人たちは実にプロでして、私がサラリーマン時代には、もう通るたびにうるさくて中には国分町の方まで、ずーっとくっついて来る人までいる始末。でもフリーになったら途端に見向きもされなくなりました。何でわかるんでしょう?
煩わしくなくていいけど、でもちょっとムッとしてるんです。

※2月13日の「文化横丁」に新たに分かったことを追記しておきました。

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