宮城

2012年4月30日 (月)

裏町の虎舞

20120430_toramai1 この中新田の「火伏せの虎舞」は毎年必ずニュースで取り上げられ(昨年は震災の影響で中止になりましたが)、宮城県の視聴者にはおなじみの行事となっています。しかしそうしたTVニュースなどに写る部分(左の写真)というのは、あくまでも虎舞の民俗芸能としての側面であって、この虎舞のもつ役割の半分の面でしかありません。

火伏せの虎舞は初午祭りという神社のお祭の一環として行われるものであって、実は虎舞を踊る中学生達はいくつものチームにわかれて町中(旧・中新田町内)の家を一軒ずつまわっては舞を踊り、神社の御札を配っていきます。このあたりは獅子舞や秋田のなまはげと似ています。こうしたいわば宗教的な部分を担うのが、虎舞のニュースには出ないもうひとつの側面です。
20120430_toramai2 何十チームもお囃子を鳴らしながら町を回っているので、この日の中新田はまさしく『町内には一日中祭り囃子が鳴り響きました』状態になります。右の写真はそうした町内を回っているチーム。

ちなみに虎舞が来た家は当然ご祝儀を出さなければならないので、多少の出費を覚悟しなければなりません。ということで普通の個人宅には一頭だけが、大きな商店などには2~3頭の虎が揃って出向くようです。
20120430_toramai22 この地域に昔から住んでいる人たちはもし虎舞が来なかったりすると「今年は抜かされた」などと怒るんだそうで、その一方で新しい住民の中にはご祝儀出すのは嫌という人もいるでしょうし、行事の主体となっている消防団(火伏の祭りなので)の人たちも気を使うところなのかも知れません。

それとともに町の中心部を3台の山車が華やかに練り歩きます。引っ張るのは子供たちですが、もちろん大人の消防団員も前後についていて船だったら舵取りみたいな役目を果たすんだと思います。山車の中には幼稚園児ぐらいの年齢のお稚児さんが乗って太鼓を叩いたりしています。この山車にも虎舞のチームが数頭ついて、やはり一軒ずつ訪問しては舞を披露し、神社の御札を渡していきます。

20120430_toramai3 なお書き忘れましたが、現在は(旧)中新田町は(旧)小野田町、(旧)宮崎町と合併して加美町となっていて、中新田という住所は存在しません。

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2012年4月29日 (日)

火伏せの虎舞(加美・中新田)

20120429_hibusenotoramai_2 昨日、前夜祭の写真を載せた加美町の火伏せの虎舞。今日は本番の日でした。私はただ見てただけでしたが、天気が良くすごく暑くてそれだけで疲労困憊してしまいました。踊ってる中学生の元気さに唖然・・・

なので本日も写真だけにしたいと思います。とても気力が…

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2011年7月19日 (火)

塩釜みなと祭(後)

20110718_3 昨日の続きです。

もうひとつのポイントは、最後に神輿が202段の急な石段を登って神社に帰ってくるところです。

塩釜神社の神輿はおそよ1トンあり、これを前16人、後ろ16人の合計32人で担ぎます。ということは単純計算で一人30kg強。10kgのコメの袋を3つとか、30kgのパワーアンプを1台担いで、石段を上がることをイメージしてもらえばいいかと思うんですが、まあ私なんかには絶対無理でしょう。難行苦行という感じですが、いつも担いでる氏子青年会の人に聞くと、登りきった時の達成感が半端ないみたいです。

話がちょっとズレますが、塩釜のお祭の神輿は昨日の写真をごらいただければ判るように、白装束に烏帽子という古式ゆかしい衣装で担ぎます。
街中の渡御では雅楽の伴奏があるだけで、ワッショイ、ワッショイなどの掛け声もありません。
言う人に言わせるとこれが本当の神輿のあり方であって、三社祭みたいに褌で神様の前にお尻を出して大騒ぎして担ぐなどというのは、神事としてのお祭りとはなんの関係もないただの観光イベントだということになるみたいです。まあ私はどっちもありだと思いますけども。

20110719_2 その静かで雅びな神輿渡御が石段を登るときには一変。力強い「エンヤー、エンヤー」の掛け声で、石段をのぼる様は圧巻です。

このみなと祭では、朱雀連という女性のグループのおんな神輿も出ます(右)。彼女たちも、202段を登ります。
今日の塩釜はものすごく暑かったので、さぞかし大変だったろうと思います。

ところで普段の年ですと、石段の周囲には観客が鈴なりになって応援するのですが、今年はもし大きな地震がきたら危険なため石段の途中には一般の人は入れませんでした。

私は他の取材をしていて、写真の撮影場所も確保できなかったので、石段を登ってくるところの写真はありません。一番上と、左下はいずれも登り切ったときの写真です。

20110719_3 で、この復興にかけた塩釜みなと祭のドキュメントを、東日本放送で8月6日(土)に放送します。
私のブログにやたらこのところ塩釜の話題が多かったのは、その取材で頻繁に塩釜に行っていたからなのでした。
宮城県ローカルですが、お時間のある方はぜひ御覧ください。

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2011年7月18日 (月)

塩釜みなと祭(前)

20110718_1 東日本大震災の後、各地の祭が中止になる中、おそらく被災地の港町でははじめてじゃないでしょうか。宮城県塩釜市できょう、「塩釜みなと祭」が開かれました。

塩釜市でももちろん祭りをやるべきかどうか、検討が重ねられました。当初はなによりも市長が難色をしめしたと言われています。

しかし塩釜のみなと祭はもともと戦後の復興を旗印に始まったもの。今こそ祭りの原点にかえって、震災からの復興を目指す祭りにしようと開催が決まりました。
ただし規模は大幅に縮小され、花火大会は中止、神輿巡行のコースも短縮されました。

20110718_2_3 塩釜の祭りの最大のポイントは二つあります。最大が二つってどうなんだとという声もありそうですが、それはともかくまずひとつは海上渡御です。

2基の神輿がそれぞれ龍と鳳凰の装飾をした船(御座船といいます)にのせられ、海上をパレードします。後ろには大漁旗をひらめかせたおよそ80艘の船が付き従います。ちなみに塩釜みなと祭は日本三大船まつりのひとつとされています。

例年、海上パレードは松島湾の島々を周り、神輿も島に上陸していました。しかし今年はどの島も津波の被害をうけ、桟橋が壊れたままだったり、地盤沈下が起きていたりしたため、見送られました。

20110718_1_2 また海上パレードの時間も、もし万一311同様の津波が発生したらという可能性を考え、片道30分のコースに短縮されました(津波がくるまでに地震発生から1時間とみつもって)。

ところで実は二艘の御座船も津波で陸に打ち上げられました。左上の写真は6月27日に撮ったものですが、ご覧のとおり港はまだ悲惨な状態でした。
20110718_2_2 右の写真は、修繕のため御座船がドック入りしたところです(同日)。
6月にこの港の様子を見たときには(ちょうどその日雨が降っていたこともあって)、どうなるんだろう、大丈夫なんだろうかと不安もありましたが、1ヶ月違うとこんなにもちがうものなんでしょうか。今日は天気が良かったこともあって(少し暑すぎたものの)、悲劇の余韻などみじんもかんじさせない、晴れやかなお祭りになりました。
(明日に続く)

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2011年7月10日 (日)

塩釜神社例祭

20110710 今日行われた例祭は塩釜神社のお祭りの中でも、最も重要なものです。なかでも出幣式とよばれる儀式が、他の神社ではあまりみないものでちょっと変わっています。

例祭はまず午前十時から、先日の藻塩焼き神事で作られた塩を供えて本殿祭が、ついで午後1時から御出幣式が始まりました。

これは御神幣(ごしんぺい)が楼門まで出て、国民の平穏を祈るというもの。

幣というのは普通は「貨幣」のことを意味しますが、「布」「織物」という意味も持っています。この場合はもちろん後者のほうで、御神幣は通常は本殿&別宮内に安置されていて、人々の前に出てくるということはありません。御神幣が外に出てくるから出幣式なわけですが、おそらく他の神社では見られない儀式じゃないでしょうか?

20110710_2 御出幣式では3人の神官が、捧げ持った御神幣をまず南に向いて3回振り、ついで北に向けて3回振ります。
ただそれだけで、あっという間に終わってしまうのですが、昔は「朝参神事」と呼ばれ、国家泰平&国民の平穏を祈る重要な神事でした。

御神幣が通る道は砂が敷いてあります。これは神様が通る道として綺麗に掃き清められていて、もし誰かがそこを歩いたり、またいで横切ったりすると、最初から掃き直さなければなりません。地元の人は知ってるから大丈夫なんですが、たまに観光客がまたいだりして「アーッ!」なんて周囲の人から叫ばれてびっくりしています。またいだだけなら砂が乱れてはいないんですが、それでもすぐに係が飛んできて、整えなおします。

201107103 御神幣がやってくる直前には、砂の上に塩がまかれ清められます。

この砂と塩はご利益があるとされ、参加者・見物人がそれぞれもって帰ってよいことになっています。甲子園の土状態なのです。

なお事情によりこの最後の写真だけ、去年撮影したものです。

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2011年7月 7日 (木)

藻塩焼き神事(続き)

20110707 この神事は古代から伝わる藻を使って塩を作る製塩の儀式です。
塩釜市というのは名前のとおり「塩」に深い縁があります。

いまをさること千数百年前――あまりに古すぎて正確にいつ頃のことかはわからないのですが、奈良時代か平安時代の初期ではないかと考えられます――この地に藻塩焼きという製塩方法を伝えた人がいました。

すでに縄文時代から塩釜や松島の周辺では塩が作られており、多数の貝塚から製塩に使ったと思われる貝殻や土器の破片などが発見されています。
それらは土器・貝殻に海水を注いで下から火で炙り水を蒸発させて塩だけ残すというものでした。しかし貝殻はもちろん土器も火に弱く、強い火ではすぐに割れてしまうという弱点があります。

これにたいして新たにもたらされた「藻塩焼き」は二つの点で画期的でした。
ひとつは鉄製の容器を使うこと。これによって強い火で何時間熱しても割れてしまう心配がなくなりました。また量も(特に貝殻に比べたら)格段に大量につくることが可能になりました。

さらに海藻というのは大量の塩分を含んでいます。ワカメや昆布が乾燥すると塩をふくのはごぞんじかと思います。藻(使われるのはホンダワラ)の上から海水を注いでそれを抽出することで、単に海水を蒸発させるだけのやり方より、はるかに濃度の濃い塩水を得ることができるのです。

この製塩方法が伝えられて以来、どうやら「藻塩焼き」はこの地域の名物になったらしく、松島湾を描いた昔の絵には、塩釜の海岸に藻塩焼きのための竈がいくつも設置されていた様子が描かれています。

ちなみに塩釜という表記は新聞やテレビニュースなどが、常用漢字を使わなければならないために便宜的に用いているだけで、自治体としての市の正式な表記は「鹽竈」です。鹽は塩の旧字ですから塩をつかっても問題ないのですが、カマの方はあくまでも竈、つまりカマドのことであり、釜のことではないので、意味的には本当は釜をつかうのはまずいわけです。

この神事はその昔のやり方を今に伝えるもので、カマドに火を炊いて、鉄製の鍋――というよりはむしろ巨大フライパンと言ったほうが適切――に海藻を通した海の水を入れて煮詰めます。驚くのは完成まであっという間で、1時間かそこいらで水はすっかり蒸発し、大量の塩が出来上がります。

この神事が行われる御釜(おかま)神社というのは塩釜神社の末社で、塩釜神社の石段を降りて少し街中の商店街に入ったところにあります。
出来上がった塩は塩釜神社にお供えされる他、当日の参加者(見物人も含めて)に分け与えられます。きっと何かご利益があるはずです。

で、この藻塩焼きがはたしていつ頃から神社の神事として行われるようになったのかはわかりません。もっと合理的な方法が出来て廃れてしまってから、伝統を残すために始まったというのは、少々考えづらいように思います。
やはり産業として盛んに行われていた頃に、「塩」という海の恵みをもたらしてくれた神様に感謝するために始まったと考えるのが有力かなと思いますが、まあとにかくわからないくらい古い頃からやっているんですね。

塩釜神社に伝わる話では、この藻塩焼きを伝えたのは、古事記にも登場する塩土老翁神(しおつちおぢのかみ)とされていて、塩釜神社の別宮にはこの塩土老翁神が祀られています。
でももちろん古事記の時代の神様が降りてきたわけではなくて、奈良時代以降に西日本の誰か製塩の専門家がやってきて伝えたのでしょう。

大化の改新の少し後ぐらいから奈良時代を通して、蝦夷を懐柔するために西日本の進んだ文化を東北に持ち込むというのが、国策として行われていました。これもその可能性が大きいんじゃないかと思います。

この時代には他にも鉄製の農機具なども東北にもたらされていて、これは当時の蝦夷たちの生活を格段に豊かにするものではありました。
しかし同時に朝廷側に帰順した代わりに新しい技術という恩恵を被った人々と、その他の従来型の生活を送る蝦夷の人々との間には、新たな経済格差が生まれてくる事にもなり、それらが奈良時代後半の東北地方を襲った社会不安の一因ともなるわけです。

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2011年7月 6日 (水)

藻塩焼き神事

20110706_1 塩釜市にある御釜神社できょう「藻塩焼き神事」が行われました。

で、今日はその取材に行ってきたので、ブログにもそのことを書こうと思ったのですが、もう一つ別の取材で帰りが遅くなった上、ちょっと身体の具合がわるいような気がします。

もしかするとこの3日間、松本前大臣事件で柄にもなく頑張ったせいかも知れません(?)

藻塩焼き神事については、きょうは写真のアップだけで、文章は明日書きたいと思います。あしからず。

20110706_2

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2011年6月12日 (日)

塩釜神社の式年遷宮

20110612_1 宮城県塩釜市――正式には鹽竈市――にある塩釜神社――正式には鹽竈神社――は、今年が20年に1回の式年遷宮の年です。その一連の式典の中でもっとも重要な遷座祭が昨日の夜、行われました。(あらかじめお断りしておくと遷座祭は暗闇のなかで行われるため、写真はありません。)

20年に1回の式年遷宮というと、伊勢神宮を思いおこす人が多いかも知れません。
伊勢神宮の式年遷宮は、ご存知のように社殿を全部建て替えるという、きわめて大規模なものです。
これに対して塩釜神社の場合は本殿の建物はそのままで、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根だけ葺き替えます。
玉石奉仕の時にも書きましたが、それに加えて今回は300年ぶりに建物の飾り金具も替えました。(カザリの文字は本来は金へんに芳)

20110612_2 右の写真のキンキラ部分がそれです。写真の光の状態が変なんですが、いいわけをするとこの先は立ち入り禁止になっていて、もうすこし移動出来ればよかったんですけど。

で、葺き替えの間、ご神体は別宮に遷座していて、工事が終わってもとの本殿にもどるという儀式が昨夜の遷座祭だったわけです。

遷座祭には招待客が300人以上でしょうか?塩釜市のVIP大集合という感じでした。

最初の写真は儀式の前に境内でお祓いをしてるところなんですが、この先、本番の神事はかがり火と松明だけの暗闇のなかで行われます。ゆえに写真はありません。

この塩釜神社の式年遷宮のお祭りは、本来は昨日から明日までの3日間の予定で、明日は塩釜市内各所での行事が予定されていました。しかしこれは震災の影響で、中止になりました。

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2011年5月22日 (日)

When You Wish upon a Stone

201105221 今日は塩釜神社の「玉石(たまいし)奉仕」が行われました。
といってもほとんどの方は「それはナニ?」でしょうか。

宮城県塩釜市にある塩釜神社は、今年が20年に1回の式年遷宮の年です。これに際して一般の氏子の人たちが、本殿の御垣内に洗い清めた玉石を備えていくというもの。

本来は御垣内の石を運びだし(玉石出し)、川に持って行き洗浄して、再び神社に持ち帰る(玉石入れ)という何日もかかる大規模な行事のはずでした。しかし東日本大震災が発生、街が大きな被害を受け、3月下旬に予定されていた「玉石出し」は中止になってしまいました。

また「玉石入れ」の行事は本来なら「奉曳車」(伊勢神宮のものにならって作られた一種の台車)に、洗い清めた石を載せて塩釜市内を巡行し神社まで運ぶはずでした。そして氏子の人たちが一つ一つお垣内に奉納することになっていて、言ってみれば今日はこの後半部分だけが行われたことになります。

今日は小雨が降る肌寒い天気でしたが、午前9時半に神社境内におよそ300人が集まり、手で直接さわらないように白い紙に石を受け取っていきました。⇒右のアイコンをクリック201105222_2

そして普段は立ち入ることが出来ない本殿の御垣内に入り、石に願いをこめて次々と玉石を置いては、両手を合わせて祈願していました。⇒アイコンをクリック201105224_2

――果たして300人の人々は、何を願ったのでしょうか。20年前の式年遷宮の時ならきっと、健康や家内安全、商売繁盛などを祈ったことでしょうけれど・・・

本殿の御垣内は本来なら神職しか入れないので、このご奉仕の時は一般の氏子が入れる貴重なチャンスということになります。ただしご神体は工事中は本殿ではなく、別宮に移されています。(もちろん信仰心の篤い方は「入れる貴重なチャンス」などとは考えず、「20年に1回の式年遷宮で神社にご奉仕できる貴重なチャンス」と考えるのであろうと思います。)

ちなみに塩釜神社の場合、伊勢神宮などとは違って、完全に立て替えたりはしません。
建物本体はそのままで、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替えがメイン。ただし今回の式年遷宮では300年ぶり(!)に飾り金具も取り替えられました。(かざりの字は本来は金へんに芳)

なお全体に写真がすこぶる下手なのは別の事をやりながら、片手で携帯をバシャバシャしてたためです。すみません。

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2011年4月24日 (日)

塩釜神社の花まつり

201104241_2 宮城県塩釜市にある塩釜神社の花まつりが、きょう震災の影響で規模を大幅に縮小して開催されました。

「塩釜神社」は旧漢字で「鹽竈神社」と書くのが正式(塩釜市自体も鹽竈市が正式です)。奥州一の宮として、東北地方でも最も格式の高い神社の一つとされています。

塩釜のお祭りには代表的なものが3つあって、一つは3月の帆手祭(ほてまつり)、4月の花まつり、そして7月のみなと祭。

201104242 帆手祭は3月10日に無事終わりましたが、翌日東日本大震災が発生。いうまでもなく塩釜市も大きな被害を受けました。(塩釜神社自体は高台にあるので、津波の被害からは逃れましたが、石灯籠が倒れるなど地震の被害は若干あったようです。)

このため残りの2つの祭に関しては、開催が危ぶまれてきました。

このうち7月のみなと祭はまだどうするか決まっていませんが、花まつりは「ぜひやってほしい」という市民の声も大きく、開催が決定。ただし規模は大幅に縮小して行われました。

本来なら祭りでは16人の氏子によってかつがれた重さ1トンの神輿が、市内をめぐるのがハイライト。中でも神社の二百二段の急な石段(普通に降りるのもちょっと怖い)を降りていくのが見ものです。

201104243_2 しかし今回は市内がまだ津波の被害から完全に回復していないことに加えて、余震の危険性もあり、神社の境内を練り歩くだけとなりました。

 気をつけろ 神輿は急に とまれない

限られた敷地の中で重さ1トンの神輿があっちに行ったり、こっちに行ったりするので、あやうく見物客の中につっこみそうに。キャー!と叫んでオバチャンたちが逃げ惑っていてましたが、意外にも神輿はギリギリのところでスッと進む向きを変えたりして、ぶつからないものなのですね。16人もの人が担いでいるのに、なぜあんなにぴったり息が合うのか不思議です。

街中を巡幸できないのは残念でしたが、これはこれで面白かったような気も。

201104244 7月に行われてきた塩釜みなと祭は、非常に規模の大きなもので、「復興」という意味でもやって欲しいという声があります。一方で万一大きな余震・津波が起きたら、見物客や特に祭に参加している子供たちをどう誘導するかなど、クリアしなければならない問題も多くあるようです。

201104245 また神輿が御座船で松島湾の島々をめぐる海上渡御に、海上保安部の許可が出るかといったこともあり、開催したとしても規模の縮小は余儀なくされるかも知れません。

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