思い出の名盤

2012年2月 5日 (日)

「アラビアのロレンス」サントラ盤 ~思い出の名盤・50

20120205_laerence_of_arabia 思い出の名盤シリーズも50回目。たまには映画音楽を取り上げてみようかと思います。このLPレコードを買ったのは高校生の時、映画を見て最初少し購入を迷ってたんですが、決心して買いました。

1962年の映画「アラビアのロレンス」のサントラ盤LPは、その頃はテイチクから出ていたのですが、突然 CBS SONY からも発売になりました。2つは同じ音源の筈なんですが、ジャケットなどは全然ちがい SONY の方がおしゃれだったので、私はSONY盤を入手。最初は販売の権利がテイチクからソニーに移ったんだろうと思ってたんですが、その後もテイチク盤が発売されつづけ、長い間不思議に思っていました。

この記事を書くチャンスにちょっと調べてみたら、最初はテイチクでもソニーでもなくて日本ビクターから発売されていたようです。その後テイチクに移り、70年代の前半にSONY からも発売。テイチク、ソニーから並行して発売されることになったわけですが、これはどうも発売の権利を持つ会社がイギリス、アメリカそれぞれにあったことが原因のようです。
テイチクはイギリスの パイ(PYE)からの音源が入ってきて、ソニーはアメリカのベル(Bell)からの音源が入ってきていました。サントラの原盤自体はパイが所有してると思われますが、ベルはコロムビア映画のサントラの権利を持っていたことがあり、その関係でしょう。「アラビアのロレンス」はイギリス人による映画で、サントラ録音のほかポスト・プロダクションも総て英国で行われましたが、米コロムビア資本なのでそんなことが起きたんだと思われます。

なお1980年代後半にデイヴィッド・リーン監督が編集しなおして、劣化した映像・音響も復元したディレクターズ・カット版(通称完全版)が作成されていますが、この時モーリス・ジャールが追加で音楽を作曲・録音しています。現在発売されているサントラ盤はそれらを含めたものだそうです。

実は私はこの音楽、「映画音楽としては」あまり好きではありません。ジャールが作曲した曲自体は、砂漠の雄大さにふさわしいスケールのクラシック風の曲から、英国軍を象徴する行進曲、アラブ風と言うかオリエント風の旋律、オンド・マルトゥノまで動員したミステリアスな響きの曲と、実に多彩な要素を織りまぜて、きわめて充実したスコアになっています。
でも映画音楽、つまり映画の各シーンの効果を高めるための音楽としては、無いほうが良かった場所も少なからずあると思うのです。一口に言うと音楽過剰。
(前半が常に音楽が流れてる感じで、まるで往年のハリウッド映画。後半になると音楽はグッと抑えられて、効果的になります。映画自体も前半は雄大な砂漠の風景と戦闘シーンによるスペクタクル、後半は人間ドラマになるので、あるいは最初から狙いだったのかも知れません。)
つまり映画のスーヴニールとして購入した数多くのサントラ盤レコードと違って、私にとってこの「アラビアのロレンス」は、映画から離れて純粋に音楽だけを聞いていた「思い出の名盤」なのです。

実際、映画としての「アラビアのロレンス」は、そんなに好きでもないと言うか、あまりよく理解できませんでした。
高校時代に見たのですが、例のトルコ軍のホセ・ファーラーにオトゥールが捕らえられるシーンが、高校生の私には何が起きたか理解できなかったのでした。
なぜオマー・シャリフはそのままで、ピーター・オトゥールだけが捕まったのかも疑問なら、鞭打たれた後いきなり釈放されたのも不思議。しかもその後オトゥールはやたら自己嫌悪に陥って、自らを卑下してたりするのです。この一連が東北の片田舎の純朴な少年には、世にも摩訶不思議な展開にしかうつらなかったのですね。もう少し大人になってから見れば、全然違う見方もできたんでしょうけれど、惜しいことをしました。

しかし、ある意味で映画自体を「さっぱりワケワカンネ」と思い、かつ音楽も映画音楽としては過剰すぎなどと思った高校生をして、サントラ盤のレコードを買わせたのですから、ジャールの音楽はそれほど印象深かったとも言えるのかも知れません。

よく知られたエピソードですが、当初この「アラビアのロレンス」の音楽は、ミュージカルの巨匠リチャード・ロジャースが担当することになっていました。
しかしロジャースが送ってきた曲は、アイルランド民謡だかスコットランド民謡だかを編曲したようなもので、リーンは困り果ててしまったのだそうです。というのもこの大作映画は女王を招いてのロイヤル試写会が決まっていて、その日程は絶対に変えられず、しかもそれはすぐ目の前に迫っていたのでした。

ところが成功する映画というのはラッキーが重なるもの。プロデューサーのサム・シュピーゲルによれば音楽の9割はロジャースが作曲することになっていたものの、残りの1割はフランスの作曲家モーリス・ジャールに作曲を依頼していたのです。どういう事情でそんな半端なことになったのか判りませんが、たぶん時間的なものだろうと思います。

(どうも話の真偽がよくわからないのですが、このときロジャースの代わりに製作サイドはジャールと共にマルコム・アーノルドとウィリアム・ウォルトンに依頼。3人で分割して音楽を担当することにしたらしいのですが、アーノルドが「観光映画だ」と思っていたことが、リーンの逆鱗に触れ、アーノルドとウォルトンは降りることになったという話もあります。)

ジャールは当時「シベールの日曜日」の音楽などを書いた新進作曲家で、シュピーゲルは「シベールの日曜日」に出資していたので、ジャールの才能は認識していたものと思われます。そしてジャールが提出したスコアが非常に優れていたので「この若いフランス人に全部任せてみようか」ということになったのだそうです。かなりの賭けだったはずですが、製作者と作曲家はそれに勝ちました。翌年アカデミー作曲賞を受賞することになるのはご存知のとおりです。
シュピーゲルはジャールをロンドンに呼んでラッシュ・フィルムを見せた後、「期間は6週間、あわせて2時間ぐらいの音楽を」と要請したようなのですが、映画音楽2時間分を6週間で仕上げるのは至難で、極めてハードな仕事になったようです。ジャールは後に回想して「5時間仕事しては20分寝て、5時間仕事しては20分寝てという生活だった」と語っています。

映画のサウンド・トラックに使われた演奏は、他の部分はジャール指揮ですが、序曲だけはエイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルの演奏。当初はこのモノーラル盤がサントラとして発売されましたが、後にステレオ録音のサントラ盤が出されるときに、ジャール指揮の演奏に差し替えられました。私はボールト指揮の演奏はレコードとしては聞いたことがないんですが、たぶん劇場で聞いたのがそれということになるんだと思います。

「アラビアのロレンス」完全版(ディレクターズ・カット版)は劇場公開も行われ、その際にジャールは来日して記者会見をしました。
「ジャールさんの音楽を聞くとロマンティックな気分になるファンが多いと思うんですが、ジャールさんにとってのロマンティシズムとは?」との質問に、彼はいきなりたちあがって両手を広げ、
"I am Romantic. What can I do?"

同じリーン監督の65年作品「ドクトル・ジバゴ」以降、「パリは燃えているか」や「ライアンの娘」「インドへの道」など、ジャールの音楽は「アラビアのロレンス」には出てこない《ワルツ系のリズム》が特徴的になっていきます。ロマンティックなジャールが次第に花開いていくという感じでしょうか。

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2012年1月23日 (月)

「クリスタル・サイレンス」チック・コリア&ゲイリー・バートン ~思い出の名盤・49

20120123_crystal_silence_2 1970年代から80年代の初めにかけて、クリスタルという言葉がとってもオシャレで洗練された感触を持つ言葉とみられていた時代がありました。その頂点にあったのが田中康夫の小説「なんとなくクリスタル」(1980)。クリスタルはこの小説で完璧に流行語になり、アガサ・クリスティの『鏡は横にひび割れて』の映画化は「クリスタル殺人事件」という日本語タイトルに。ジャズのサックス奏者グローヴァー・ワシントンJr.がビル・ウィザースのヴォーカルをフィーチャーして録音したナンバー Just the Two of Us にまで、「クリスタルな恋人たち」などという日本語タイトルが付けられたりしました。

クリスタル・ブームはなぜかあっという間に衰えて、小説の翌年公開された かとうかずこ主演の「なんとなくクリスタル」は期待はずれの興行成績に終わり、ビデオ化もされてないようです。Just the Two of Us ももはや恥ずかしくて誰も「クリスタルな恋人たち」なんて言いません。みんな「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」と原題で言います。

そんな中、70年代のクリスタルで今も残っているのが、このチック・コリアのアコースティック・ピアノとゲイリー・バートンのヴァイブによる名盤「クリスタル・サイレンス」。残った理由は作品の水準の高さもさることながら、音楽自体が本当にクリスタルという言葉にピッタリだったからかも知れません。このデュオ・アルバムが録音されたのは1972年11月。勿論日本のクリスタル・ブームとは無関係で、「クリスタル・サイレンス」は原題そのものです。

それにしても二人の美しく繊細な音色が絶妙に絡み合うこの世界は、本当にクリスタル。時には水晶の輝きに、時には雪の結晶にと姿を変え、ひたすら透明で純粋な音のユートピアを綴っていきます。
アルバム・タイトルになった曲「クリスタル・サイレンス」はチック・コリアが「リターン・トゥ・フォーエヴァー」のために書いた曲ですが、これをアルバムのタイトル・チューンに選んだのは、芸術的な意味でも商業的な意味でも、正解以外のなにものでもないでしょう。

日本盤についていえば、下手に訳さずに原題のカタカナ表記にしたのも大正解(Jazzの場合はそのほうが普通ですが)。そもそもクリスタル・サイレンスって何と訳せばいいのか判りませんが、語感からもカタカナ以外はありえないでしょう。クリスタルということばの《か行》と《さ行》と《ら行》で出来たクリアな語感は、言葉が立ってると言うか、特別なものを感じさせます。
考えてもみてください。シルヴィア・クリステルがシルヴィア・ダイヤモンドなんて名前だったら、きっとただの脱ぎ女優にしかならなかったでしょうし、滝川クリステルが滝川サファイアだったりルビー滝川だったりしたら、ワイドショーのレポーター止まりだったかもしれません。まあ、これはクリスタルじゃなくてクリステルですけど。

このアルバムの中で特に惹きつけられるのは、最後から2番目に置かれた曲、「チルドレンズ・ソング 」。アルバムの初めからどんどん音楽がシンプルになっていって、「チルドレンズ・ソング」では本当に余計なものを削ぎ落して、音楽が純粋な音の連なりにまで還元されたような印象を受けます。そして続く「ホワット・ゲーム・シャル・ウィー・プレイ・トゥデイ」は対照的にリズムの面白さを活かした(といってもこれもシンプルなのですが)活気あふれる曲で終わる。聞いて深い満足感を得られる絶妙の配置のように思います。

チックのアコースティック・ピアノ――つまり普通のピアノ。チック・コリアはエレクトリック・ピアノを弾くことも多く、ピアノだけだとどちらか判らない事が出てくるので――の音色は、前世代のジャズ・ピアノの名手たち、オスカー・ピーターソンやジョン・ルイスやハンク・ジョーンズやエトセトラと比べて、ちょっと腰高な感じがします。カラヤン指揮ベルリン・フィルとアバド指揮ベルリン・フィルの違いみたいな(?)。
でもそれが煌くゲイリー・バートンのヴァイブの音色とぴったり合うんですよね。この原稿を書くために久々に聞いて、すっかり酔いしれてしまいました。
最近眠りがやけに不順なんですが、きょうはよく眠れそうな気がします。

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2012年1月 8日 (日)

ラス・ウェルガスの写本 ~思い出の名盤・48

20120108_codex_las_huelgas 私は結構なスペイン好きなのですが、そうなるには二つ大きな出会いがありました。
ひとつがこの「ラス・ウェルガスの写本」のLPで、高校生の頃だったと思うんですが、どんな曲かの検討もつかないのになぜか買ってみました。たぶん雑誌のレコード評を読んで、気に入りそうな予感がしたためだと思います。これがスペインの宗教音楽――中世から後期ルネサンスまでの――にはまるきっかけになりました。

もうひとつのきっかけは大学の美術史の時間に、神吉敬三先生を招いて集中講義が行われたことで、それまでもうすうす「ベラスケスってもしかして凄いんじゃないだろうか」と思っていたのが、神吉先生の講義で確信に変わりました。それで私は大学2、3年とイタリア語をとっていたのですが、4年の時にはスペイン語に切り替えたりしました。まあ、結局双方どっちつかずになったわけですが。

20120108_monasterio_huelgas で、美術についてはまあいいとして、この「ラス・ウェルガスの写本」なんですが、これは12世紀から14世紀ぐらいにスペインの女子修道院で歌われていた宗教曲を集めた手稿本。ブルゴスのラス・ウエルガスというところにあるサンタ・マリア・ラ・レアルというシトー派の女子修道院で歌われていたものを、そこの修道院長が編纂したので、一般的に「ラス・ウエルガスの写本 Codice de las Huelgas」と呼ばれています。

このレコードはその写本の中から、20曲ほどを取り上げ演奏したものなんですが、幸い YouTube に上げてくれてる人がいましたので、なにはともあれ、ちょっとお聞き下さい。>クリック!

この時代の宗教音楽の常として、ひたむきで純粋な響きがするのは当然ですが、同時期のアルス・アンティクァやアルス・ノヴァに比べて、なにかメロディアスに感じないでしょうか?
演奏してるのはラス・ウエルガスのサンタ・マルア・ラ・レアル女子修道院の合唱団(ホセ・ルイス・オチョア・デ・オルサ指揮)。つまりまさに100%の本場物ということですが、カウンター・テナーを使って完璧な演奏をするイギリス系のアンサンブルなどに比べて、どこか親しみやすいように感じます。

20120108_monasterio_huelgas_claustr また上記 YouTube の演奏の後半部分でおわかりのように、一部の曲には器楽の伴奏が入っています。伴奏といってもとてもシンプルで控えめなもので、真摯で敬虔な雰囲気を壊してはいません。演奏はパニアグァ&アトリウム・ムジケーで、こういう演奏もできるんですね。

この「ラス・ウェルガスの写本」はスペインのレーベル、イスパボックスがシリーズで出していた「スペイン古音楽集成」の中の1枚で、これがすこぶる気に入ったために、その後次々とこの「スペイン古音楽集成」を買い求めることになりました。そしてビクトリアと出会い、いまだに最も好きな作曲家の一人になっています。

「ラス・ウェルガスの写本」は昔はこの1枚でしたが、最近はウエルガス・アンサンブルやセクエンツィアの録音したCDも出ているようです。

※画像はいずれも Wikipedia からで、一番上がラス・ウエルガス写本、次がサンタ・マルア・ラ・レアル女子修道院、その回廊。

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2011年12月29日 (木)

「辛い別れ」アン・マレー ~思い出の名盤・47

20111229_anne_murray なんだか「思い出の名盤」と言うより、単なる「私の好きな曲」になりかけていますが。
オリヴィアが最初は嫌いだったのに対して、アン・マレーは最初のヒット曲「スノーバード」を聞いた時から、惹きつけられました。といっても「スノーバード」という曲自体は昔も今もあまり好きじゃないんですが、アン・マレーの声がなんとも魅力的だったのです。

彼女のアルトの声――あ、有名なイギリスのメゾ・ソプラノとは別人です。こちらはカナダのカントリー歌手――はメロウな心地よい響きを伴っていて、たぶんハ調長音階を歌っただけでも人をひきつけるだろうと思われますが、それに加えて歌がとてつもなく上手い。淡々と歌うタイプですが、その中に千変万化する心理の綾、感情の襞が表現され、そしてそれらを常に広く大きな人間性のようなものが包み込んでいるのです。

そんなマレーの特徴が100%出切ったのがこの「辛い別れ」でした。全米で第一位になり、グラミー賞の最優秀女性ポップ・シンガーを受賞しています。
「辛い別れ」は日本語タイトルがちょっとマズイと思いますが、原題は You Needed Me 。
I need You でも I needed You でもなく、 You Needed Me 。

歌詞は曲の主人公のストーリーを詳しく説明はしていないのですが、なにかで挫折しどん底にいた女性が、「あなたは私の涙を拭い、立ち直らせくれた。私を引き上げ、尊厳を与えてくれた。あなたが私を必要としてくれたから」

歌詞は一部を除いて、総て過去形で書かれていて、それが邦題の由来になってるのでしょう。なんらかの形で(死んだとか)二人は別れざるを得なかったのだと思いますが、歌詞からははっきりしません。途中1箇所だけ、I'll never leave, why should I leave? という歌詞が出てくるので、むしろ現時点での強い愛情を歌った歌と捉えるべきという説もあるようです。

今年は「回転木馬」の「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」が有名になりましたが、この You Needed Me も、今年にふさわしい曲だったんじゃないかと言う気がします。

You gave me strength to stand alone again
To face the world out on my own again
You needed me, you needed me

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2011年12月28日 (水)

「フィジカル」オリヴィア・ニュートン=ジョン ~思い出の名盤・46

20111229_olivia_newtonjohn 最初はオリヴィア・ニュートン=ジョンのことが嫌いでした。声出てないし、歌も特に上手くないし、たんなるかわい子ちゃんアイドル歌手だと思ってたのですね。
グラミー賞を受賞した「愛の告白」は確かに名曲ですが、オリヴィアよりも例えばグレン・キャンベルの日本公演ライヴ盤(たしかCD化されてないはず)に入ってる歌唱のほうが、深みも情感も遥かに上と聞きました。

「グリーズ」「ザナドゥ」と続いた主演映画もあまり興味をもてず、どうでもいい歌手ナンバー・ワン。――と思ってたのですが、81年突如彼女は新しい路線を開拓。「あれえ、オリヴィア・ニュートン=ジョンってこんな歌も歌えるのか」と、私だけでなくファンも驚かせました。

それがアップテンポのノリの良いリズムに乗った「フィジカル」。同じディスコ調でもビージーズ系統のいかにも夜の街で踊り狂ってる雰囲気の曲には興味がなかった私も、健康的で明るさと伸びやかさを持ったこの曲にはすっかりはまってしまいました。
ジムでレオタード姿になった彼女が出演するPVもなかなかの作りで、特にヒーハーしながらエクササイズしてるオデブちゃん達が、曲の後半ではマッチョになって現れるという楽しさ。マイケルの「スリラー」のような巨額の制作費をかけなくても、アイディア次第で面白いクリップは作れるという見本のような出来でした。

「フィジカル」はアルバムの他の曲も高水準で、やはり80年代のポップスを代表する1枚なんだろうと思います。
すっかりオリヴィアを見なおして、初期の曲をあらためて聞くと、歌が下手というのは私の偏見で、実は彼女は歌がうまかったのですね。「カントリー・ロード」など、そこはかとない哀愁が胸にしみる実に良い歌です。この曲が帰りたいんだけど帰れない故郷をうたう、寂しい歌だったというのは、本家のジョン・デンヴァーよりもむしろオリヴィアの歌のほうが切実に感じられるように思います。

オリヴィアは1978年、2度目の日本ソロ公演を行う予定でしたが、壱岐の漁民がイルカを「虐殺」してることに抗議して、公演をボイコットしました。しかしその半年後に、壱岐のイルカ駆除の原因が、漁民の生活の糧であったブリ漁がイルカのせいで危機に瀕したせいであることを知り、考えを変えて公演を行いました。更にその際イルカと人間が共存できる研究の為にと、千葉県の海洋生物研究所に2万ドル寄付しています。

これをどう考えるかは人によって異なると思います。反対派の意見もちゃんと聞き、自分の考えに至らない所があれば改めることができる、柔軟な考えの持ち主という見方も出来ます。
所詮、一時の興奮でボイコットはしてみたものの、世界第二の市場である日本を失いたくない気持ちのほうが勝ったいい加減な人という見方もできるかも知れません。そういえば動物愛護発言の直後に、空港に待ちかまえていたカメラマンに豪華な毛皮のコート姿を撮られて顰蹙を買ったりという事件もありました。

どちらの立場をとるにしても、シーシェパードのような狂信的な人たちと一緒くたにするのはかわいそうでしょう。来日公演でも「ドルフィン・ソング」を歌ったりしてるようですから、彼女もイルカ保護の精神はずっと訴えたいと思っているんでしょうし、彼女のファンも立場と主張を十分に理解してコンサートを楽しんでいるのだろうと思います。

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2011年12月15日 (木)

ギーレンのマーラー10番(後) ~思い出の名盤・45

20111214_gielen ミヒャエル・ギーレン指揮の10番は、1998年に第1楽章アダージョを南西ドイツ放送響と録音したものが、ヘンスラーから発売になっていました。このCDは他に「亡き子をしのぶ歌」とウェーベルンのパッサカリアOp.1、「夏風の中で」を併録するという実にセンスの良い選曲で(私が好きな曲というだけなんですが)、私も持っています。もっとも購入した目的は10番ではなく、コルネリア・カリッシュの歌う「亡き子」の方でした。

もちろん買ったからには聞いてみたわけですが、しかしこの10番は、私にはまるで訴えるものがありませんでした。ついでに書くと「亡き子をしのぶ歌」はカリッシュの心のこもった丁寧な歌いぶりに好感はいだきましたが、彼女の声は生で聞くともっと深みがあり、特に宗教音楽などはじわじわと心に染み入ってきます。CDでは少しソプラノ的に聞こえますし、彼女の良さは録音に入りにくいのかもしれません。ウェーベルンの2曲もブーレーズ(パッサカリア)やシャイー(夏風の中で)の方が格段に魅力的で、いつしか取り出すこともなくなりました。

ところがこの録音が行われた1998年と2005年の間のどこかで、ギーレンの心理になんらかの変化が起きたらしく、2005年にギーレンは再び南西ドイツ放送響とともに、こんどはクックによる全五楽章版の録音に挑みます。

以下はHMVのサイトから引用したギーレンの言葉です。
「驚くべきことに、ファクシミリスコアに目を通して得た私の最初の印象は正反対に変化した。つまり、最初に見たときよりもはるかに多くのマーラー的なものがここにはあると感じられるのだ。かつては要らないとまで考えていたフィナーレが、今ではとても普通でないくらいに焼きついている。明らかにクックの仕事はマーラーの精神によって引き起こされたものだった!」

私はこのCDは聞いてませんが、ネットでちょっと評判をさぐったらまず例外なく絶賛のようです。

で、このCD録音の4年後、ギーレンは今度はハンブルクのライスハレで北ドイツ放送響を指揮して、全曲(もちろんクック版)を演奏。翌年HNK-FMでそのライヴ録音が放送されました。

このエントリのタイトルにした「ギーレンのマーラー10番」というのは、この演奏のことのつもりです。ですから「思い出」でも「名盤」でもなく、ものすごく看板に偽りありなんですがそれはご容赦下さい。

この演奏は大変な名演ではないかと思います。まあ、曲をよく知らない人間が演奏を判断するというのもいかがなものかと思いますが、なんらの逡巡をともなわずにそう言い切れるほどの名演ではないかと。特筆すべき美点は2つあると思います。
ひとつはオーケストラのクリアな――なんというか透徹した響きと、ヴォルテージの高さ。オケ自体が優秀なのは北ドイツ放送響ですから当然のことであえてあげるまでもないでしょう。
そして正に眼光紙背に徹するという言葉がピッタリな指揮者の読み。私のように曲をあまり理解できてなかった人間にも、この難解な曲の構造がハッキリと見えてくるような明晰な表現、すべての細部はひとつの遺漏もなくすくい上げられ、完璧なバランスで再配置されているのが判ります。

同じ透明感のある演奏でもブーレーズやアバドのそれは、比喩的に言えばひとつの建築物を思わせます。それはスケルトンになっていて柱や配管、電線などがくっきりと見え、建物がどのようにしてできているのかが全て顕になるような。
小澤は前にも書いたように、建築物ではなく、薄い絹織物が幾重にも重なりあい流れていくさまを思わせます。
ギーレンはアバド、ブーレーズらと一緒で建造物を思わせる、いわゆる「スコアが見えるような」演奏です。でも違うのは彼の場合は全てが水晶でできているのです。時にはクリスタルを通して遠くまで見通せ、時にはクリスタルを通過した光が虹になって輝き、時には私たちの眼を直射します。
――そして終楽章のあの感動。

もっともギーレンによって理解に近づいたとは言えるのですが、私が言ってるのは非常に初歩的な部分のことで、この曲はたぶん短い第3楽章「プルガトリオ(煉獄)」を中心にしたシンメトリー構造だと思いますが、それらの一つ一つの楽章の内容がどうなのかとなるとやはり難解です。作曲者の書き込みの解釈や、前半の楽章と後半の楽章の対応――当然対応してるんだと思いますが――についても、十分に判ったとは言えません。いつか判る日がくるといいなと思います。

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2011年12月14日 (水)

ギーレンのマーラー10番(前) ~思い出の名盤・45

20111214_gielen マーラーの交響曲第10番に関する私の一番古い記憶といえば、「なんだか知らない音楽用語が出てきてる」という戸惑いでした。アダージョとプルガトリオ。アダージョとトリオは知ってるけど、プルガって何だ?

レコードの解説読んでビックリ…。ということで、私が最初に聞いた10番は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のCBS盤でした。第1楽章のアダージョだけでなく第3楽章のプルガトリオも演奏したクルシェネック版。
この時は9番の終楽章に似た音楽だなあと思っただけで、あまり興味は持てませんでした。たしかせっかく買ったレコードなのに、1回か2回しか聞かなかったんじゃないかと思います。

その後だいぶたってバーンスタインが第1楽章だけ演奏したCBS盤を購入しましたが、これも一緒に入っているジャネット・ベイカーの「亡き子をしのぶ歌」が聞きたかったからで、10番の方はやはりほとんど聞かなかったような気がします。

この時期、既にクック版による五楽章の全曲録音は、オーマンディ指揮とウィン・モリス指揮によるものがあったはずですが、特に興味は持ちませんでした。どちらも果たして国内盤が出ていたものかどうか。
補筆というのがあまりのめり込めないと言うか、私の場合CDを聞くときには、モーツァルトのレクイエムだとジェスマイアーの補筆部分は聞かないことが多いですし、「トゥーランドット」の3幕もリューのアリアまでで、アルファーノの補筆部分はパスすることがほとんど。

でも10代の頃に全曲版を聞かなくて正解だったような気もします。そのころの私だったら第3楽章の音楽が第5楽章で展開されるなんて言われたら、超???な状態に陥ったに違いありません。

全曲版を聞いたのはすごく遅くて、80年代に入ってからだと思います。FM放送の音楽番組によってですが、誰の演奏だったかも覚えていません。漫然と聞き流してしまいました。

ということで聞いてもあまり興味も持たず(たしかその後ラトルのバーミンガムとの録音も聞いたはずです)、10番のというかクック版の良さは判らずじまいでずっと来てしまいました。
そのうちシャイー指揮ベルリン放送響のCDなどが発売になり、へえ~シャイーも全曲版をやるんだなどと驚き、そのうち聞いてみようと考えつつも聞かずに過ぎて…

その時は突然やって来ました。2004年の12月。ハーディング指揮のウィーン・フィルのコンサートの模様が、驚いたことにウィーンからFM生中継されたのです。
曲目はこの10番で勿論クック版。なんでもこの曲を取り上げろというのは、ラトルの勧めだったのだとか。ウィーン・フィルで全曲版という大胆さに尻込みするハーディングに対して、ラトルは「オーケストラは絶対受け入れる、大丈夫だ」と太鼓判を押したら、実際ウィーン・フィルは受け入れてこの日の演奏会になったのだそうです。

そしてこのハーディングの演奏を聞いていたら――最初は例によって漫然と――突然、この曲が名曲だったということに気づいたのです。誰の作曲だとか、誰の補筆だとかは関係なかったんですね。誰が作ろうと結果として優れていたら、それは名曲なのだという単純な真実にそれまでは気づいていませんでした。50歳すぎて気づくというのも遅すぎますが、それまでは目が曇っていたとしか言いようがありません。

この組み合わせの10番は、この後2007年になってあらためて録音され、DGから発売になりましたので、お聞きになった方も多いのではないかと思います(私はCDは聞いてません)。

しかしそのハーディングの生中継の演奏で曲の魅力は感じられたものの、ちゃんと理解できたかというとやはりいきなりは無理で、まだまだ難解さは感じていました。
(続く)

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2011年12月 3日 (土)

小澤のマーラー9番(後)~思い出の名盤・44

20111202_2 この小澤指揮ボストン響のCDは、よくあるようにライヴと言っても数回のセッションから編集して作られるものでしたが、会場では開演前に「フィリップスが収録するので協力して欲しい」旨のアナウンスがありました。

私は平土間中央より少し前の非常に良い席。ボストン響の定期公演は概してそうらしいですがチケットは完売、実はキャンセル待ちでようやく取れた席だったのです。
満員の客でビッシリと埋め尽くされた会場で、私の前の列で左に3席ぐらいずれたところにだけ空席があったのですが、楽員が席につき指揮者が登場しようかという時に、そこに一人の年配の男性が駆け込んできました。銀髪の背の高い紳士で、年配などと書きましたが、もしかすると50代か60代ぐらいだったかも知れません。その時は「ああ遅れたんだな」と思っただけで、何も感じませんでした。あるいは「間に合ってよかったな」ぐらいも思ったかも知れません。

演奏が進み、ついに最後の終楽章に入ってすぐです。この遅れて座った人がいきなり詠嘆調で「アダージオ…」と言い出したのです。つぶやいたのではありません。周囲にきこえるようにハッキリと。
い、い、いったい彼に何が起きたのでしょうか?そりゃ確かにこの楽章はアダージョですよ。でもボストン響の定期会員ならそのぐらい知ってるでしょうし、そもそも曲聞けばアダージョかアダージェットだってことぐらい分かります。なにか感極まったのでしょうか?でもそこまで自分を抑制できない人が、コンサートに来るでしょうか。
私をふくめて周囲の人もギョッとして彼の方を見ました。誰か「シッ!」と注意したように思います。

発売されたCDは少なくともここの箇所に関しては、私が聞いた日の録音は使われなかったようです。「アダージオ…」という客席のノイズは入っていませんでした。

後でちょっと思ったんですが、その頃すでにボストンでの小澤さんの任期は15年を越える長期政権となっていて、ボストンには批評家にも一般の音楽ファンにも根強いアンチ小澤が居るという話でした。もしかしてアンチ小澤派の嫌がらせ?という疑惑もチラリと脳裏をかすめましたが、真相は判りません。

2002年に30年のボストン響でのポストを終え、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に転身する、その最後のコンサートで小澤は再びマーラーの交響曲第9番を取り上げました。
その時の模様はNHKからテレビ放送されましたので、ご覧になった方も多いかと思います。

この時の演奏は基本的にはCDと同じ路線ながら、冒頭から凄い集中力。そして小澤さんには珍しく感情が溢れ出すような演奏で、特に終楽章は万感こもった感動的なものでした。
ところがその終楽章のそれも弱音のところに限って、やたら客席からせきが出るのです。ゴホンゴホンとあちらこちらで。ようやく終わったかと思うと、つぎはあちら。あっちが終わったかと思うと、次はこっち。
ここまでくると明らかに嫌がらせではないかと思います。組織だったものではないかもしれませんが、そうとしか思えないような酷さだったのです。

聞けばボストンという所は、アメリカの京都とも呼ばれるイケズな街として有名なのだとか。考えたくありませんが、でも嫌がらせというのはありそうな気がします。
もちろんここでも真相は判りませんが、でも私は確信してることが一つあります。このお別れコンサートの9番で咳をしてる人々の中には、絶対にあの「アダージオ爺い」が含まれていると。

小澤征爾はこのお別れコンサートの前年、2001年にサイトウキネンと9番の再録音をしています。これはボストン響との演奏とはちょっと違う解釈で、ボストンとのCDでは旋律の陰に隠されたと感じたすべての要素は、白日のもとに晒されています。たぶんこれがマーラーなのであろうと思います。

サイトウキネンはベートーヴェンやブラームスの録音が、少々オケの音色が薄く感じ、あまり興味をもつこともなかったのですが、この9番に関してはまったく音色や音の厚みで不満を感じることはありません。レパートリーのせいでそう感じるのか、オケが経験を積んだということなのか、指揮者の何かなのか、こちらの偏見なのか、それは判りませんけども。
ボストンとのCDが日本ではほとんど無視かおざなりな批評だったのに対し、このサイトウキネンのCDは大変に高く評価されたようです。私も全体的にはサイトウキネンが良いかと思いますが、終楽章だけはすべての要素を捨象してただ美しさだけが残ったボストン響との録音が捨てがたいかなと感じています。

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2011年12月 2日 (金)

小澤のマーラー9番(前)~思い出の名盤・44

20111202 最初に9番を聞いたのはFMの音楽番組だったと思います。誰の録音だったか…。なんか漫然と聞き流したような。

初めて曲と演奏者を意識して聞いたのは、FMで放送されたコンサート・ライヴで、森正指揮N響の演奏。調べてみたらこのコンサートが行われたのは1973年で、驚いたことにこれが日本人による9番初演だったのだそうです。びっくりです。
演奏の特徴などはもはや覚えていませんが、テープに録って何度か聞きかえしました。なので私は9番という曲はこの森さんとN響の演奏で覚えたということになりそうです。

LPで最初に買ったのはバルビローリ盤でした。これは「伝説の名演」とされるもので、バルビローリがベルリン・フィルの定期でこの曲を振った際、あまりの名演奏に楽員の側から録音を申し出たという逸話が残っています。バルビローリらしく情熱的にして叙情的、すみずみまで歌に満ちた演奏。第1楽章の冒頭などこの演奏を聞いた後にバーンスタイン盤を聞くと、まったく歌われてないような気分になってきます。まあ『歌う必要がない箇所だから、歌ってません』ということなんだろうと思いますが。
録音も60年代前半にしては悪くなく、聞けると思います。5番、6番の方が録音時期は後なんですが、より音質面での不満を感じるのは、5&6番のほうが9番よりも細部の明瞭さを求めるからでしょうか?

次に聞いたのはジュリーニ盤。ただし例によってFMで。
これも素晴らしい演奏でした。明朗で、清澄で、美しく。イタリアというのは情熱の国みたいですが、造型の国でもあるんですよね。ジュリーニもアバドも造型の人で、どんな曲でもフォルムを失わないというのが彼らの特徴、というより敢えて言えば彼らの本質であろうかと思います。遅ればせながらシカゴ響の凄さを認識したのもこの録音によってでした。アメリカのナンバー・ワン・オーケストラだというのは雑誌記事等で知ってはいましたが、ショルティの録音で聞くものと言ったらオペラなど声楽作品ばかりで、たいていウィーン・フィルなんですよね。
ジュリーニ盤を購入しなかったのは、単純に経済的な問題で、DGの2枚組は高かったのと、この時期は興味がオペラに向いていて、純器楽曲に割く予算がなかったせいでした。

その後、またまた放送録音になってしまいますが、バーンスタインのベルリン・フィルでのライヴがNHK-FMで放送になります。
もちろんエアチェックしました。この一期一会の演奏の記録はバーンスタインの死後にCD化されましたが、それまではテープは宝物でした。
バーンスタインではコンセルトヘボウとのCDも発売になり、こちらのほうが好きかもしれません。

そのバーンスタインの来日公演が85年。NHKホールの最前列に近い席で聞きました。まさにレニーの汗が飛んでくるような。

今も語り草となっているそのバーンスタイン/イスラエル・フィルの演奏の4年後、1989年の秋に、小澤さんのテレビ映像も含めれば3つあるマーラー9番のうち最初の録音が、ボストンでライヴ収録されました。で、実はそのコンサート会場に私もいました。

演奏は客観的というのか非常に整理された美しいもので、没入型のバーンスタインとは正反対ですが、聞いてるとだんだん説得されてくるというタイプのもの。
小澤さんの演奏を聞いてると、基本的に和声や曲の構造よりも旋律がまず前面に浮かび上がってくるようなきがします――と言ってもバルビローリ型の歌って歌って歌いぬくというのではなく、美しいけれどカンタービレという感じはしない、いわば節度ある歌わせ方――そこが多分、小澤よりも自分の方が音楽を良く知っていると言わんばかりの「2ちゃんねる」あたりのクラオタに酷評される理由ではないかと想像しています。まあこのボストンとの録音でも、会場では感じなかったのですが、CDで聞き直すと第一楽章など、曲の多様な要素が旋律の背後に隠れてしまってるような不満を持たなくもありません。

しかしその不満は徐々に少なくなり、終楽章では比喩的に言えば、まるで絹織物のような美しく透明な旋律の波が、幾重にも重なりあい、寄せては返し、返しては寄せるという、至福の時間を過ごすことができます。

小澤/ボストンの演奏は言うならばバーンスタイン/イスラエル・フィルの解毒剤的役割を果たしてくれたような気がします。私はその時ボストンではなくNYに行くのが目的(METでゼッフィレッリ新演出でクライバー指揮の「椿姫」を見るため)で渡米していたのですが、少ない時間を無理してボストン往復してよかったと思いました。

ボストンのシンフォニーホールも一度は体験しておきたかったし、ボストン交響楽団はさすがに一流の響き。演奏も上に書いたように楽章を追う毎に惹きつけられていきました。

ところが! あの美しい終楽章に入った時です。
(続く)

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2011年11月16日 (水)

ワルターの「大地の歌」(後)~思い出の名盤・43

20111115_walter_2 (昨日の続き)

青春について~第4楽章

そのルードウィヒの最初の「大地の歌」録音が、クレンペラー指揮のEMI盤。テノールはフリッツ・ヴンダーリヒ。
これは「盤」じゃなくて「紐」で――オープンリールのミュージック・テープで購入しました。輸入盤のテープがYAMAHA仙台店で500円でバーゲンになってたのです。

当時のレコードというのは、内周になるに従って音質が悪くなると言われていました。テープの場合は線速度一定ですからその弊害はありません。そのため片面30分ぐらい入ってる曲の場合は、テープで購入するオーディオマニアも多く、オープンのミュージックテープも結構発売されていたのです。私もベームのモツレクなど、わざわざLPではなくテープで買ってみたりしました。

ヤマハが何故500円バーゲンをやったのかは判りませんが、当時はちょうどカセットテープへの移行期。オープンは売れなくなっていたんだと思います。輸入盤の場合は再販制度の枠外ですからいくらでも安く出来るわけで、たとえ損してもさっさとさばいてしまって、カセットのミュージックテープなど別の商品のためにスペースを空けたいということだったんじゃないかと思います。たぶん。

バーゲンでなかったら買うことも聞くこともなかったと思いますが、聞いてみたらこれが大当たり。まずヴンダーリヒの美しく伸びやかな歌声の気持ちのいいこと!ベームの「魔笛」とどちらを先に聞いたか覚えていませんが、どちらもその美声にノックアウトされました。
そしてルードウィヒの上手いことと言ったら。いかにフィッシャー=ディースカウが名手でも声の対比という点で、やはり女声で聞きたいという時はあるわけで、そんな時F=Dに対抗できるのはこの人だけではないかと思いました。
「Junge Mädchen 若い娘たち」という言葉で入る第4楽章など、バリトンで聞くとどうしてもスケベ親父的な感じがぬぐえないので、やはりそういうところはメゾですかねえ。

クレンペラー指揮のニュー・フィルハーモニアの演奏は、当時は特に何も思いませんでしたが、今あらためて聞くとちょっと普通のロマン派音楽になってるのかなという気がします。バーンスタインがくっきりと浮かび上がらせる特徴的な音型や、管楽器のソリなどが、クレンペラーだと埋もれ気味なのかなという感じが。

春に酔えるもの~第5楽章

次に買ったのがコリン・デイヴィス指揮のもの。ジョン・ヴィッカースとジェシー・ノーマンの独唱。
ノーマンは一般的にはスーパースターですが、F=D的なあるいはシュワルツコップ的な、詩の背後を隅から隅までくまなく探っていくような歌ではないので、ドイツ・リート好きにはあまり評価されない傾向があるような気がします。しかし彼女のストレートな歌い口は、音楽がベチャッとならずにいつも凛々しく屹立してるので、私は好きです。もちろんストレートなだけでは「ただの大声」になりかねないので、彼女の声が持つあの巫女的な――一種のカリスマと言うんでしょうか、大地の底から湧いてくるようなあの美声の魅力があってこそなのですが。

しかしこの録音でノーマンよりも印象的だったのはヴィッカースでした。というかこれを買ったのはヴィッカースも目的だったのです。79年のコヴェントガーデン来日公演で、感動的なピーター・グライムズを演じたヴィッカースに、この生は暗く、死もまた暗い曲は絶対に合うはずと当たりをつけたのです。正解でした。キングやヴンダーリヒのような美声ではありませんが、あの個性的な声と歌い方がこの変な曲には逆に魅力となってはまっていたのです。

ノーマンはこのLP発売時にはまだ来日前で、日本ではあまり人気はなかったと思いますが、三谷礼二さんが彼女の、特に「大地の歌」を絶賛していたので、音楽好きにはノーマンの「大地」録音を鶴首する人は多かったのではないかと思います。
彼女はこのあと90年代にレヴァイン指揮ベルリン・フィルとライヴ録音していますが、実はその前にバーンスタインと録音する計画がありました。二人のスケジュールをなかなか合わせられないでいるうちに、バーンスタインが亡くなってしまい、結局実現せずに終わりました。これは本当に残念です。

告別~第6楽章

LP時代に買ったものはそんなところでしょうか?
CD時代に入ってからも色々聞きました。インバルのはシュライヤーが軽すぎるような気がしました。ジュリーニのはファスベンダーが上手いし良い声なんですが、何か違う感じ。ベルティーニのはヘップナーとリポウシェクが素晴らしくこれは名盤だと思います。そういえばカラヤンがバルツァとやったコンサート・ライヴの放送は、バルツァが最後のEwigを1回余計に歌ってしまって話題になりました(私は聞いてません)。フェリアーがワルターとやった時に、Ewigで涙ぐんでしまい声が出なくなったという逸話があるそうですが、余分に歌うとは…。
シノポリ盤はコンサートで成功したW・マイアーを起用しなかったのでガッカリしていたら、代り(?)のフェルミリオンが素晴らしく魅力的な声で驚き。彼女は3月にインバル指揮都響の公演で歌う予定ですから、東京の方は是非どうぞ。私も3月でさえなければ行くんですが…

などなどを聞いていましたが、そのうちなんだかしんどくなって、マーラーそのものをあまり聞かなくなりました。
いま一番期待しているのはアバド&ベルリン・フィルの今春のライヴが、発売されることでしょうか。DGさんぜひお願いします。BPOのデジタル・コンサートホールを見た人の話では、これまでのアバドの全マーラーの中で一番良いというんですが…

Ich suche Ruhe für mein einsam Herz.
Ich wandle nach der Heimat, meiner Stätte.

Ich werde niemals in die Ferne schweifen.
Still ist mein Herz und harret seiner Stunde!

Die liebe Erde allüberall Blüht auf im Lenz
und grünt aufs neu!
Allüberall und ewig Blauen licht die Fernen!
Ewig... ewig...

私の孤独な心は、癒すべく憩いを求めゆき
歩み行く彼方には、私が生まれし故郷あり

私は二度と漂白し、さまようことはあるまい
私の心は安らいで、その時を待ち受ける

愛しき大地に春が来て、ここかしこに百花咲く
緑は木々を覆い尽くし 永遠にはるか彼方まで
青々と輝き渡らん
永遠に 永遠に……

※訳詞は Wikipedia のものを若干直しました。

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