思い出の名盤 II

2012年5月17日 (木)

ウィックスとオイストラフのシベリウス協奏曲 ~思い出の名盤・56

20120517 シベリウスは短波ラジオを持っていて、世界中の放送局で自分の作品が流れるのを聞くのが好きだったそうです。当然自作を弾くさまざまなヴァイオリニストの演奏を知ってたものと思われ、何人もの演奏家に対して賞賛の言葉を述べています。

シベリウスがヴァイオリン協奏曲ニ短調の演奏を高く評したヴァイオリニストには、イグナティウス、ウィックス、オイストラフなどがよく知られています。ヌヴーやイダ・ヘンデルなども誉めていたという話もネットで読んだことがあります。なんとなく単に女性ヴァイオリニストが好きだっただけじゃないかという気がしないでもありません。

それだけにこの中に男性ヴァイオリニストであるオイストラフが含まれていることは、やはり注目すべきなんじゃないかと思います。というかいまさら注目しなくてもオイストラフのシベリウスは非常に高く評価されてきましたし、映像も含めるといまや録音が何種類出まわってるのかよく分からないくらいでもありますが。

LP時代に出ていたオイストラフが弾くシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、代表的なものが3種類ありました。

一つはシクステン・エールリンク指揮ストックホルム祝祭管弦楽団と共演したもので1954年録音のもの。オイストラフ45歳ぐらいの演奏です。極めてヴォルテージの高い演奏というべきでしょうか。後の60~70年代の録音で私達がよく知っているオイストラフに比べると、幾分か線は細いかも知れませんが、非常に集中した演奏で、しかも多くの女性ヴァイオリニストたちと違って、個人的な情念のようなものを感じさせないのが素晴らしい。もちろんエールリンクの指揮も最高です。

第3楽章も快速演奏ですが「ぶっ飛ばしてる」感は皆無で、細部も完璧。それでいて音楽が燃え上がってるさまが感じられます。オイストラフは作曲者本人と会ったことがあるのですが、その時に第3楽章の演奏について「速すぎませんでしたか?」と聞いたところ、シベリウスからは「いや、あれで良い」という答えが返ってきたのだそうです。つまり作曲家にとってもこの演奏のテンポで良いのだろうと思います。

このCDはこれまで何故か複数のレーベルで出ていて、かつては輸入盤のCBSレーベルでよく見かけましたが、最近では東芝から発売されているようです。この録音の唯一の欠点は音質で、特に第二楽章には明らかな瑕疵があります。もうちょっと聴きやすい音質なら良かったのですが、演奏だけ取り上げれば私にとっては後述するウィックス盤とともにこの曲の最も好きな演奏です。

オイストラフの2枚目は1959年に行われたアメリカ演奏旅行の合間に、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団と行われたもの。これはソリストもオーケストラも完璧としかいいようのない演奏。特にオーマンディ&フィラデルフィアのバックがさすがで、「北欧的」だの「冷たさ」だの「自然」だのというシベリウスについてまわる形容詞とは無縁であっても、この美麗な響きには抵抗できないような気がします。

ただ完璧+完璧の演奏で、どこにも文句のつけようがないのに、でもなんとなく意気上がらないものも感じます。50年代のオイストラフのアメリカ・ツァーは鳴り物入りで行われ、大成功だったのですが、同時に冷戦時代とあって、彼の訪米をソ連の宣伝と考える保守派の激しい反対運動もあったと伝えられています。そんな中でハードな異国のツアーをこなし疲れていたのか、あるいはそんな緊張感から解き放たれてお気に入りの指揮者・オーケストラとスタジオにこもってり、リラックスしてしまったのか?

そこにエールリンク盤のひたむさはありませんが、それでもこの完璧な美しさ――特に第一楽章冒頭の――が魅力でないわけはなく、名盤のひとつであろうかと思います。

LP時代に発売になった3枚目のオイストラフはロジェストヴェンスキー指揮のものでした。私が最初に買ったのはこれです。この演奏は気合という意味では一番で、とにかく最初から最後までオイストラフの演奏は凄い気合が入りまくりで、いったいなにが起きてるんでしょうか?

ロジェストヴェンスキーもオケを鳴らしまくり、オイストラフの熱演に応えています。でもこれは明らかにチャイコフスキーではないでしょうか?面白い演奏ですが、いつも聞きたいとは思いません。

そしてカミラ・ウィックス。このシベリウスの女神の演奏を私がはじめて聞いたのは、もう大学を卒業し就職してからでした。ウィックス盤がずっと欲しくてたまらなかったのですが、当時ウィックス演奏のLPは廃盤になっていて、どうしても手に入れることができなかったのです。
入手したのはちょうどLP時代の終りぐらいだったでしょうか。新聞社に勤める先輩の記者の方が持っていて、カセットにダビングしてもらいました。

もしかするとシベリウス自身が「私の曲の理想的な解釈者」と呼んだということに影響されてるのかもしれませんが、この演奏は私にも理想的に聞こえました。情熱も集中力もあるのですが、それが後のチョン・キョンファの盤のように息が詰まるものにならず、伸びやかで音楽のバランスが失われてはいません。むしろ端正とすら言ってよいでしょう。冒頭は本当に人間は誰もいない雪に覆われたフィンランドの森と湖を、ウィックスによって奏でられた歌だけがスッと流れていくような、そんな想像すら。シベリウス好きならそれだけでノックアウトされるような演奏です。
この演奏の素晴らしさは指揮者が作りだした部分も大きく、エールリンク指揮ストックホルム放送響のバックは理想的なシベリウス世界を描いています(1952年録音)。

ウィックスはニューヨーク生まれですがノルウェー系で、ヴァイオリニストとしての活躍の場も北欧中心だったようです。そのせいと、あと30代で結婚してコンサートの場からは退いたということが影響したようで、その令名に比して録音は多くありません。有名なものとしてはワルターと共演したベートーヴェンの協奏曲(ライヴ)がありますが、私は聞いたことがないです。

このウィックス盤、昔東芝EMIから発売されたCDは廃盤になってしまい、ようやく再発されたと思ったら大部のBox品だったり、今にいたってもなかなか入手が難しかったのですが、ようやく6月にEMIから廉価盤で発売されるようです。

私はこの協奏曲が大好きなのですが、もし無人島だか座敷牢だかに3枚持っていくことを許されたとしたら、やはり上記のオイストラフ&エールリンクとウィックス、それにペッカ・クーシストのヴァイオリンにセーゲルスタム指揮のOndine盤ということになるでしょうか。もっとも神尾がしかるべき指揮者・オーケストラと録音したら、どれかと入れ替えるかもしれませんが。

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2012年4月15日 (日)

ウォルドマン指揮のフォーレ レクイエム ~思い出の名盤・55

20120415faure_requiem このLPは1970年代の前半に、クラシックとはあまり縁がないように思えるMCAレーベルから発売されました。当時は指揮者フレデリック・ウォルドマンも演奏団体のムジカ・エテルナ管弦楽団&合唱団もまるで知らない名前だったので、ひたすらヘルマン・プライとマーティナ・アーロヨという二人の独唱者が目当てで買ったのですが、これが大当たり!

プライのあたたかみのある歌声が素晴らしいのは勿論ですが、全体に大変な名演奏だったのです。押入れの中を捜索してみたのですが、残念ながらLP見つけられませんでした。手放してはいないのでどこかにはあると思うんですが。というのもこの録音、少なくとも国内では一度もCD化されていないと思うんです。ソリストも有名どころなのになぜでしょうね?

録音は1970年ですから、当然オリジナル版ではなくフル・オーケストラ版(シンフォニック版)で演奏されています。
ムジカ・エテルナ管弦楽団は室内オーケストラの規模で演奏しているようで、フォーレに必要な軽みとか透明感はしっかり確保しています。それでいて薄っぺらにならず、じっくりと音楽を聞いたという充実感も与えてくれるという、この曲では珍しい演奏かと思います。指揮者も目新しい解釈などは何一つやってないのですが、必要にして十分なだけ音楽を引き締め、時には豊かに時には慎ましやかに旋律を歌わせています。
当時一番人気だったコルボ盤が透明さや純粋さの表出に傾きすぎているような気がして、あまり好きでなかった私には、かなり長い間最もしっくりくる演奏でした。

その後オリジナル版による名盤が次々と発売になり、シンフォニック版もヘレヴェッヘ指揮の新校訂による演奏のCDが出たりして、古い録音はあまり顧みられることが無くなりましたが、このウォルドマン盤はクリュイタンス盤とともに、後世に残るべき録音だと考えています。(後世どころかまだ録音から40年しかたってないのに、もう入手不可なわけですが…)

フレデリック・ウォルドマンは日本ではあまり知られていませんが、米国ではかなり有名な指揮者らしく、マンハッタンを拠点に自ら組織したムジカ・エテルナとの演奏活動が、特によく知られているようです。

アメリカで活躍しましたがもともとは1903年ウィーンの生まれ。当初はドイツの歌劇場でコレペティトーアをやっていました。なんとR・シュトラウスやトスカニーニが振るときの上演でもコレペティの仕事をしたことがあるそうです。

1936年にイギリスへ、41年にニューヨークに渡ります(理由は不明です)。
ニューヨークでは教師としてジュリアードなどで教える傍ら、伴奏者としての仕事も続けていたようです。この時期共演した歌手の中にかのアリス・タリーがいて、その縁でウォルドマンは彼女の後援を受けることになりました(アリス・タリーは音楽のパトロネスとして知られる有名な女性で、リンカーン・センターの中にアリス・タリー・ホールという室内楽ホールがあります)。

50年代にアリス・タリーの援助でオーケストラを組織。61年にはムジカ・エテルナ管弦楽団と改名し、カーネギー・ホールなどでの演奏も行うようになります。私はこのフォーレ以外は全く聞いたことがないのですが、特に現代モノの初演を得意としていた他、シュッツやモンテヴェルディなどのバロックの作曲家、それに有名作曲家の知られざる作品などの紹介も積極的に行ったようです。

ウォルドマンとムジカ・エテルナの特筆すべき活動としては、メシアンの「峡谷から星たちへ」の世界初演があり、その他多くの作品の初演を行なっています。また指揮者としてはシュトラウスの「カプリッチョ」やコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」(オペラの方だと思います)、ダラピッコラの「囚われ人」の米国初演なども行なっているそうです。

1995年に92歳で亡くなりました。

※ 画像はフォーレが楽長をしていたパリのマドレーヌ寺院。Wikipediaから。

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2012年4月 4日 (水)

「マッカーサー・パーク」リチャード・ハリス ~思い出の名盤・54

20120404_macarther_park_2 俳優のリチャード・ハリスが1968年に出したこの曲は、当時としては珍しい7分半もかかる大曲でしたが、全米第2位まで上がるなどアメリカでは大ヒットしました。なのに、なぜか日本ではさほど話題にはならず、多分10年後にドナ・サマーがカヴァーし全米1位となったディスコ・ヴァージョンの方がよく知られてるかと思います。

作詞・作曲はジミー・ウェッブ。67年に発表したフィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ」とグレン・キャンベルの「恋はフェニックス」でグラミー賞を独占、天才ソング・ライターとして一躍時の人となったウェッブですが、その彼にしても冒険的な曲でした。

歌詞は分かりやすい英語で書かれているにもかかわらず、象徴的で難解。ハリスの歌唱は俳優の歌らしく台詞の朗誦にも似て、きわめてドラマティック。伴奏はビートルズ全盛時代にもかかわらず、大時代なオーケストラ。いったい斬新なのか時代錯誤なのか判らないきわめてユニークな曲でした。

ジミー・ウェッブの曲は、後の「クリスティアン・ノー」(クリスティアンはウェッブの子供の名前)などに代表されるように、彼の個人的な世界を歌ったものが多く、初期のヒット曲ももちろんその例外ではありません。しかしフィフス・ディメンションが「ヘアー」のカヴァー曲を出すように、またグレン・キャンベルの「ガルヴェストン」や「ウィチタ・ラインマン」がラヴソングの枠を越えた社会性も獲得しているように、60年代後半のヒット曲の数々はやはりフラワー・チルドレン、アメリカン・ニューシネマ、そしてその終焉という、いわば「時代の申し子」とでも言いたい側面は無視できないように思います。
しかしその中でこの「マッカーサー・パーク」は、ぽつんと孤立しています。Tシャツとジーンズの世界から、重量のあるコスチュームを着た演劇かオペラの世界へ。一方でロッド・マッケンの繊細な詩の世界に近づいているような感じもあって、一筋縄ではいきません。
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春はどうしても僕らを待ってはくれなかった。
踊りながら追いかけてた時には、ほんの一歩前にいたはずなのに。

本のページの間に、僕らはぴったりとはさまれてた。
まるで愛という熱いアイロンでプレスされたストライプのズボンみたいに。

マッカーサー・パークは夕闇に溶けて、
上を覆った甘い緑の砂糖が流れ落ちて消えていく。
誰かが雨の中にケーキを忘れていったけど、
僕にはもうケーキは手に入らない。
だってケーキは焼きあげるのに時間がかかるし、
僕にはもう決してレシピは思い出せないから。

20120404_macarthurparkla 英語に詳しい人には大激怒されるかもしれないほど、大胆に意訳してみました。
マッカーサー・パークはロサンゼルスにある公園で、前は違う名前だったのがマッカーサー元帥にちなんでこの名前に変更されたのだそうです。(画像はWikipediaから。)

色々と比喩的表現に富んだ難しい歌詞ですが、情景が浮かんでくるような美しい歌詞でもあります。

YouTube はこちらからどうぞ

この曲を歌ったリチャード・ハリスはアイルランド出身で、1930年生まれですからこの時38歳。
2002年に亡くなっていますが、古い映画ファンには「ジャガーノート」や「カサンドラ・クロス」で、若い映画ファンには「ハリー・ポッター」シリーズのアルバス・ダンブルドア役、「グラディエイター」のマルクス・アウレリウス帝の役でおなじみかと思います。ロンドン音楽演劇アカデミーの出身で、舞台と映画双方の名優として知られています。

彼の名前を一躍有名にしたのは1963年のリンゼイ・アンダースン監督「孤独の報酬」で、アカデミー主演男優賞にノミネートされました。その他にも「ナバロンの要塞」や「天地創造」(カイン役)などの有名作品を経て、この曲を出す前年の67年にはミュージカル映画「キャメロット」にアーサー王役で主演しています。もしかするとここでの歌が「マッカーサー・パーク」に繋がったのでしょうか?当然ですが、同じ路線の歌い方――ドラマティックではあるけれど、朗々と歌い上げるのではなく――になっています。

この「キャメロット」で、ハリスはゴールデングローヴ賞のコメディ・ミュージカル部門の主演男優賞を受賞していますが、私はあまり良いとは思いませんでした。もちろん演技は上手いんですけども、完全なミス・キャストだったように思います。

「キャメロット」は「マイ・フェア・レディ」と同じアラン・J・ラーナーとフレデリック・ロウのコンビによるブロードウェイ・ミュージカルで、これまた「マイ・フェア・レディ」と同じくワーナー・ブラザースが映画化権を獲得していました。
舞台ではジュリー・アンドリュースとリチャード・バートンによって演じられたのですが、ワーナーは「マイ・フェア・レディ」に続いてまたもジュリー・アンドリュースを起用せず、リチャード・バートンとエリザベス・テイラー夫妻で映画化すると発表します。
ところが「メリー・ポピンズ」と「サウンド・オブ・ミュージック」でジュリーは瞬く間に興収ナンバーワン女優になってしまいます。あわててワーナーはリズを降ろして、ジュリーにオファーしたのですが、当然ジュリーはこれを蹴ってしまいました。
さらにリチャード・バートンも降りてしまいます。バートンが降りた理由は私は知らないのですが、どう考えても奥さんのリズが不当に下ろされたのだから、怒ったんだろうと思います。

結局「キャメロット」の主演は、リチャード・ハリスとヴァネッサ・レッドグレーヴになりました。そしてワーナーは曲中の歌を吹き替えにせず、俳優本人に歌わせるという大胆な策に出ます。アカデミー賞を意識したのかも知れません。
でもこれは失敗でふたりとも上手くないのです。それでもハリスはまだレックス・ハリスン系のミュージカル歌唱と思えば我慢も出来たのですが、レッドグレーヴは比較対象がジュリーなので、失望の極みとしか…。(まあ当初の予定通りエリザベス・テイラーを起用したとしても、すでに太ったおばさんになっていたリズに、処女のまま見知らぬ王のもとに嫁に来る純情な乙女なんか出来るわけが無いので、やってもパロディになっちゃったことでしょうが。同じ事はハリスにも言え、年齢的にもアーサー王の役には老けすぎていて駄目でした。)

そんなわけでリチャード・ハリスの魅力は「キャメロット」では全く発揮されずに終始したのですが、うっぷんを晴らすかのようにこの「マッカーサー・パーク」の録音では、彼にしかできない独自の領域を切り開いています。
歌がうまいか下手かといったら、当然ドナ・サマーの方が圧倒的に上手いし、その他この曲をカヴァーしているシナトラはじめ数多くの名歌手にかなうわけはないのですが、でもどんな名歌手よりもハリスの方が味があるのです。

「これがオリジナルである」という意識からの偏見もあるかもしれませんが、これは多分時代のせいじゃないかと思います。深く内面に入り込んでいながらも自閉的にならず、自由にどんな冒険でも許される。60年代後半という時代。
最初に「ぽつんと孤立」しているなどと書きましたが、実はここにもやはり時代の刻印ははっきりと押されていたのではないか。他の「上手い歌手」達によるカヴァーも、それだけは表現出来なかったのではないかと思います。

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2012年3月17日 (土)

ワルターとイッセルシュテットとベームの「田園」~思い出の名盤・52

20120317_600 タラッタ、タッタラタッター、タッティタッタリラ~ン♪

ずっと「維新八策」のことを書いてたら、なんだか凄い疲労感。これはきっと「書きたい!書かねばならぬ!」的な変な意気込みと、顔写真を見ただけで気分が悪くなる橋下氏に対する嫌悪感がぶつかって、ストレスになってたんだと思います。
それに比べて音楽や美術のことを書くのって、なんて楽しいんでしょうか。田舎についた時の愉快な気分という感じ。

ということでベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」について、昔聞いた名盤を思い出してみたいと思います。昔はベートーヴェンの交響曲では「英雄」が一番好き、「田園」はむしろ嫌いだったのですが、どういうわけか五十歳を越えた頃から「田園」が一番好きになりました。すごく聞きたいというわけではないのですが、ベートーヴェンの交響曲を何か聞こうと思うと、自然と「田園」を取り出してしまいます。3>7>4>3>4>2>3>6みたいな変遷だったかと。5番ももちろん嫌いではありませんが、さすがにあまりに有名すぎてちょっと…という感じで。「田園」と「第九」はなんとなく乗りきれませんでした。

で、子供の頃、私はこの曲をキリスト教の曲だと思ってました。
というのも当時(今でも続いてるそうですが)民放のラジオで朝早く「ルーテルアワー」という番組を放送していて、そのテーマ曲が「田園」の冒頭部分だったからなのです。
ルーテルというのはマルティン・ルターのことで、これはプロテスタントの日本ルーテル教団が提供してた宗教放送でした。たしか週一だったと思います。内容はあまり覚えてないのですが牧師さんの説教のようなものが番組化されてたように記憶しています。
ちなみに昔はドイツ語のerはエルと表記していました。シラーがシルレルとか、ワーグナーはワグネルとか。この日本ルーテル教団とか慶應大学のワグネル・ソサィエティーにその名残を見出すことができます。

なぜ我が家でルーテルアワーを朝っぱらから聞いてたのかは分かりません。私の家はクリスチャンではなく、普通のあまり宗教色の強くない、でも問われれば仏教と答えるような(曹洞宗…ちなみに東北は曹洞宗が強い)、一番日本に多いであろうタイプの家だったのです。

大正生まれの母親の話だと、子供の頃は12月だけクリスチャンになって日曜学校に行き、クリスマス・プレゼントをもらうのが習慣だったそうなので、キリスト教や牧師さんの説教にたいする抵抗感がないのは確かですが。あるいはこういう話を聴かせると子どもの教育に良いぐらいは思ってたかも知れません。

実は「ルーテルアワー」のテーマ曲がベートーヴェンの交響曲であるという話は、ラジオの音楽放送で知りました。ちゃんと曲を聴いたのもその時でした。小学生の頃だったので演奏家の名前は覚えていません。というかそんなもの意識もしませんでした。

20120317beethovenhaus 初めて意識して「田園」の全曲を聴いたのは中学生になってからで、これはFM放送でワルターとコロムビア響でした。しかし演奏がどうのこうのの前に、曲が好きになれませんでした。まず第一楽章のルーテルアワーのテーマが、なんだか変な旋律であまり綺麗じゃないし、他の楽章も旋律がいまいち魅力に乏しく、おまけに5楽章もあって、しかも後半はグダグダ(失礼)続いていくという、変な構成。「英雄」や「運命」、4番、7番のスケール大きく、しかも均整のとれた構成に比べて、交響曲だかなんだかよく分からない奇妙な曲というのが印象だったのです。

高校生になってシュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルのLPを友人から借りました。ミレーの「落穂ひろい」がジャケットに使われているやつです。当時は「ウィーン・フィルならではの表現にこだわる」みたいな聞き方はしてなかったので、ふうむなるほどという感じで終わりました。

ベーム指揮ウィーン・フィルのDG盤はFMで聞きました。すごく立派なんだけどなにか非常によそよそしくてユーモアや温かみに不足した演奏のように思い、すぐに忘れてしまいました。それがとんでもない間違いだったということは二十数年後に気付きます。

「英雄」はフルトヴェングラーのウラニア盤エロイカまで買ったというのに、「田園」に関しては単発のレコードを買うことなく、バーンスタインとウィーン・フィルの全集を購入するまで、私は一枚も持ってなかったと思います。

はじめて「あれ?この曲っていい曲かも」と思ったのは、アバド指揮ウィーン・フィルのCDが出た時でした。曲に興味はなかったのですが、とりあえずアバド・ファンなので義理で聞いてみたら、なんかすごくイイ!
旋律の歌わせ方が上品で、どこにもひっかるところがなく音楽が心の中にスッと入ってくるのです。演奏に抵抗がないと、曲そのものへの抵抗もなくなってくるから不思議です。
そのうち段々、ピリオドのものとか、逆に遡ってカラヤンのとか聞いているうちに、曲そのものが好きになって来ました。

ある日、なにげに図書館のCD棚を見ていたら、ベームとウィーン・フィルの、かつて1度聞いてあっさり忘却の淵に沈んだあの録音を見つけました。
聞きなおしてみたら…ウィーン・フィルはとてつもなく美しく、暖かな微笑もさわやかな叙情性も欠けてなく、しかもスケールは大きい、これは超弩級の名演でした。
現在、このベーム盤が私にとっての最高の「田園」になっています。

しかしそれにしても、年齢の問題に加えてクラシックを聴き始めて日が浅かったということもあって、やはり子供の頃というのは聞けてないんですね。いろんなものを聞き逃してるんだと思います。

ということで、昔聞いたワルターとイッセルシュテットの「田園」を聞きなおしてみることにしました。

ワルターのベートーヴェンは前に4番などをCDで聞いて、オーケストラの薄い響きと60年代のCBSのチャラい音質に失望していました。
「田園」も音質については同じ印象なんですが、ワルターの指揮に関しては全く意外でした。なんて言うんでしょう。すごく意志的なのです。フレーズの切り方、入り方、デュナーミクの変化も何もかもが、「こうあらねばならない」的な指揮者のきっぱりとした考えが見えて、これは言うならば楷書のベートーヴェンと言えるのではないでしょうか?ここはフォルテでここはメゾフォルテでというようなのがまるでスコアを見ながら聞いてるかのように段階的に聞こえてきて、ベームやアバド、バーンスタインらのほうが遥かに行書・草書で書かれたベートーヴェンという気がします。
スコアが見えるようなという表現はブーレーズの専売特許かと思ってましたが、ワルターでそんなことを感じるなんてびっくりです。コロンビア響の薄い響きも今流行りの室内オケスタイルと思って聞けば、むしろ「スコアが見える」のに貢献してるような気も…。

シュミット=イッセルシュテットの録音は、響き自体はワルターとはまるで違う芳醇な世界なのですが、指揮者の個性というより時代の問題なのでしょうか?ワルターと同じような表情付けと聞きました。勿論こちらはオーケストラがウィーン・フィルなので、響きも表現も濃厚というか濃密。それでいてすべてが自然。昔から名演と評されていたのも理解できました。ワルターと比べると指揮者の存在を感じないほどで、こちらはやはり行書か草書のベートーヴェンでしょう。オケもこれに比べると、アバドの録音は少し力みが入ってるように聞こえます。60年代と80年代のウィーン・フィル、やはり違うんですね。

※2枚目の写真はハイリゲンシュタットのベートーヴェンが「田園」を作曲した家。

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2012年2月21日 (火)

ビッチェズ・ブリュー ~思い出の名盤・51

20120221_miles 高校時代の思い出話になりますが、私は高校にはバスで通っていました。家の近くに徒歩でも通える学校はあったのですが、家と学校の往復で終始するような高校生活なんか絶対に嫌だったので、バス通学不可避の高校を選んだのです。

しかもそのバスは当時は仙台で一番の(今もですが)繁華街だった一番町を通過していく路線でした。ということで学校帰り、私は一番町でバスを降り、以前にも書いたバロック喫茶の「無伴奏」に最低でも週に2回、ジャズ喫茶の「カウント」に週1回は寄って帰る(おまけに2番上映の映画館だった「名画座」か「青葉劇場」に週1回)という生活を送る忙しい高校生となったのでした。

釜石出身の友人によれば、そんな高校生活は想像したこともないんだそうで、「さすが仙台は都会だ」と言われましたが、世の中、上には上があります。
東京出身の友人は山手線で通っていた高校時代、何度もホモの痴漢にいたずらされたとか言うので、唖然としてしまいました。そういうことには極めて疎かった私は、《ホモの痴漢》という人達がいるという事自体は映画「真夜中のカーボーイ」を見てたので知ってましたが、でもそういう人はニューヨークに居るんだと思ってたんですね。私の子供時代はすごくお子ちゃまだった部分と大人だった部分と、アンバランスだったらしいです、きっと。

音楽に関してはクラシック好きの友人にも恵まれ、一気に幅が広がりました。その友人は特にマーラーが好きだったので、いろいろレコードを借りることが出来ましたし、中学時代はワーグナー、ブラームスどまりだった私のレパートリーは、ここでマーラーを経由して新ウィーン楽派から現代音楽まで広がりました。「無伴奏」ではさらに、バロックから中世・ルネサンスへとさかのぼり、「カウント」で様々なジャズを知ることもできました。
ポップス・ロック関係は特に何もしなくても普通に耳に入ってきてましたから、オールラウンドに各ジャンルの音楽を網羅していたと言ってもよいかと思います。

ところが・・・

ある日のことです。FM放送をつけた私は、まったく聞いたことのない種類の音楽を聞いてしまったのです。聞いたことのない曲ではありません。それならいまだに沢山ありますし、一応聞けばどんなジャンルの音楽かぐらい分かります。
その音楽はまずどのジャンルに属する音楽であるのかも検討がつきませんでした。現代音楽のようでもありましたが、リズムが違いました。ジャズとは明らかに響きが違いました。ロックでもR&Bでもなく、無論クラシックではありません。

しかもその曲は全くジャンルが不明であるにもかかわらず、音楽自体は決して混沌ではなく、クリアで輝かしく、一つ一つの音がクッキリと屹立しているのです。いったいこれはなんだろう、こんな音楽がありうるのだろうか?
演奏が終わった後、アナウンサーが告げた曲名、それがマイルス・デイヴィスの「ビッチェス・ブリュー」でした。
これがあの「ビッチェス・ブリュー」なのか…。曲名は当時購読していたFM雑誌で知っていたのです。すごく話題になっていましたから。

音楽雑誌が「そりゃ、もう大騒ぎさ」状態になってるのも頷けました。今自分が生きてる同時代に、自分自身には想像だにできない全く新しい音楽ジャンルの創造に立ち会うことができるとは、誰も思っていなかったでしょう。それが突然実現したのです。それはベートーヴェンの第九初演に匹敵するような、音楽史上の事件と言えるのではないかと思います。

いまあらためて聞いてみると、もちろんここでマイルスが行ったことはあらゆるミュージシャンによって骨の髄までしゃぶり尽くされた訳ですから、かつての新鮮な驚きはありません。しかし楽曲の魅力は全く失われていないように感じられます。そしてマイルスの音の表現力が昔以上に心に残ります。

マイルスはこのあと、確か「マン・ウィズ・ザ・ホーン」を出した後ぐらいだったかと思いますが、仙台にも来てくれて、もちろん私も聞きに行きました。前半がマイルスのセプテット、後半がギル・エヴァンス・オーケストラという変則的なコンサートで、もしかすると既にマイルスは一晩のコンサートを全部やり遂げるだけの体力はなかったのかも知れません。私は一度に伝説の巨人を二人も聞けるので喜びましたが、本当のジャズ・ファンがどう思ったかは判りません。

ちなみにこの時の会場だった宮城県民会館(現名称は東京エレクトロンホール宮城)は、地震で大きな被害を受け、いまだに再開できてません。

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